yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

「宇宙的郷愁」の存在学、宇宙的「無の気配」の存在学を読む稲垣足穂の『僕のユリーカ』、『人間人形時代』の宇宙論。

イメージ 1

イメージ 2

  あんまり高邁なこと考えているんで、あほらしくて起きてられへんのや。 (稲垣足穂
イメージ 3大学も文系なのになぜか、数学は昔から得意じゃなくても好きな科目だった。試験の点数がよかったわけでもない。なのに数学は好きだった。抽象が好きだったのだろう。気になりネットで検索してみたところ高校時代親しんでいた「大学への数学」なる雑誌の項目が出てきたので、いまでも存続している事を知った。超難問を何時間もかけて、いや何日もといったほうがいいかもしれないほど、ないあたまひねり解くのが愉しかった。今でも小説のたぐいより、啓蒙的な一般向けの科学書を読むほうがワクワク感があり、好きである。分からないまでも、諸理論が提示するイメージの奔放とでもいう常識からの逸脱がたまらなく魅力だった。そう、理論ではなくイメージでしかないのだけれど。そのイメージの喚起力は人間事象という生臭さから遠ければ遠いほどピュアーで魅力だった。誰しもが思う、果て無き無限ではなく閉じられた無限。正の曲率をもつリーマンの空間。無限に平行線がひけるのだという負の曲率をもつロバチェフスキー双曲幾何学などなど。かつて見えなかったものを見えさせ、考えも及ばなかったものを提示するイメージの力に魅入られたのだった。純粋理論からの信じられないイメージの開発でこれから先ひょっとして思わぬ相貌で宇宙が、自然が、<もの>がぬっとばかりにあらわれるやも知れないではないかといった楽しみである。存在のゆくえ定まらぬそこはかとないたゆたいのイメージに遊ぶ宇宙論、そうしたものへの恰好の手招きとなったのが今日取り上げる稲垣足穂の『僕のユリーカ』(南北社・1968)であり、『人間人形時代』(工作舎・1974)だった。足穂宇宙論は「宇宙的郷愁」の存在学、宇宙的「無の気配」の存在学・オントロギーとして、その宇宙論は存在学的香りの濃厚がひときわ魅力でもあった。<ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た無に近づく物質の将来について語ろうじゃありませんか。>(稲垣足穂
その稲垣足穂の墓碑銘は「その生涯をあげて虚空を掴まんとせし者ここに眠る」だそうで、これは死の20年以上前に決めていたそうだ。