yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

「静寂の中に祈りを見出すという」平義久ほか、共通感覚に余韻と間(ま)を聞きとる『東京五重奏団の世界』(1974)2枚組。

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Yoshihisa Taïra ~ Pentalpha

               

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平義久
イメージ 2セットもので、なおかつ一人一曲ずつ収録されている現代音楽物を取り上げるのは気が重いのだけれど。きょうは1974年度(昭和49年度)芸術祭参加作品『東京五重奏団の世界』2枚組み。三善晃『(5人の奏者のための)ノクチュルヌ』、野田暉行『(マリンバ・フルート・クラリネット・パーカッション・コントラバスのための)オブセッション』、平義久『(五人のソリストのための)パンタルファ』、『(五奏者のための協奏曲)風の波紋』、湯浅譲二『(マリンバ・フルート・クラリネット・パーカッション・コントラバスのための)領域』それにこの中ではオーケストラを配した唯一の大掛かりな石井真木『(マリンバと5群のための)シンクレティスメンⅠ』が収められている。「東京五重奏団」のメンバーは安倍圭子マリンバ、野口龍のフルート、宮島基栄のクラリネット、有賀誠門のパーカッション、田中雅彦コントラバスという変わった構成である。ネットで検索したところヒットしなかったので現在は活動していないのかもしれない。なんだか作品云々ではなく単なるアルバム紹介で終わってしまいそうだ。好みというのがあるので、あまり気が進まないけれど聞いて心に響いた順序をあげると先ず、平義久の『パンタルファ』、それから三善晃の『ノクチュルヌ』、湯浅譲二『領域』次に石井真木の『シンクレティスメンⅠ』となる。総体として響きに日本的なものを感じさせる。ということは<間>をつよく意識させるのだ。おのおのの作品が、こうした編成ではおのずからにそうなってしまうとでもいったように余韻の響きと、音を打つことの緊張感と間合いをつよく感じさせるのを共有している。共通感覚ということなのだろうか。あまりいいイメージではないけれど俗に血は争えないということなのだろうか。いや民族といわない、また日本ともいわない、何かが通底しているのだろう。ところで印象に残った作品・作曲家の筆頭に上げた平義久は、殆ど活動の場をフランスにもっていたせいで認知の度合いが少ないけれど、大いに注目し聞いて頂きたい作曲家だと私は思っています。その作曲家のWIKIPEDIAの記事からつぎの批評文を引用してこの稿擱きたいと思う。≪静寂の中に祈りを見出すという自身(平義久)の言葉は、ドビュッシーに代表されるフランス近代音楽の色彩に関する鋭い感覚と、日本の伝統音楽の持つ音と音の隙間における見えない緊張感の駆け引き(いわゆる「間(ま)」と呼ばれる)を良く表している。≫
今日は何もいっていないブログで終わったみたいだ。





平 義久 (Yoshihisa Taïra) - Sublimation (1971) pour harpe (Sylvie Beltrando, harpe)