yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

まさに日本が、冥く、もの哀しく歌っている井上頼豊の『日本のチェロ曲半世紀』(1977)2枚組。

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井上頼豊
イメージ 2まさに日本が、冥く、もの哀しく歌っていますといったところだろうか。もろに日本の旋法が聞こえてくる曲ばかりと言ってもいいくらいだ。どうやらこの旋法とやらは好き嫌いなどといってられない生理でもあるらしい。今日取り上げるレコードも昨日と同様2枚組みであり、一日一稿のマイブログにとってはボリュームたっぷりでありすぎる。戦後シベリアに抑留され、辛酸なめただろう≪戦前のプロレタリア楽家同盟に参加、戦後はうたごえ運動の理論、音楽面の指導者としても活動した。≫(WIKIPEDIA)民族派チェリスト?井上頼豊の『日本のチェロ曲半世紀』(1977)である。ちなみに収録曲は、諸井三郎「チェロとピアノのための一楽章ソナタ作品3」、箕作秋吉「睡蓮」、服部正「びろうど」、倉田高「日本人形の踊り」、尾高尚忠「夜曲」、尾崎宗吉「夜の歌」、池内友次郎「日本古謡によるバラード」、山田耕筰「野ばら」、清瀬保二「チェロ・ソナタ」、林光「行進曲」、入野義朗「独奏チェロのための三楽章」。毛並みというか趣が違っているのはわが国で最初に十二音技法を使って作曲したといわれている最後の入野義朗だろうか。収録されている作品も<12音技法による日本のチェロ曲として先駆的な作品≫とコメントされている。さて、しょうじき言ってお尻がもぞもぞするといった感じが否めないのは、<和>の曲調、その旋法ゆえだろうか。三味線でポップスを奏でるような違和感ほどではないけれど、といったところである。もちろんこうした歴史あっての今の日本の現代音楽であることは忘れないでおこうとは思う。旋律を封じたから現代音楽は聴衆者から離れダメになったとの説を私はとらない。それはそれで探求すべきみちであるし、おおいにアヴァンギャルドたるべしである。何でも試みなくてはならない。それだけである。媚を売って何になるだろう。大衆音楽はそれとして立派に支持され楽しみを与えている。童謡、唱歌、歌謡曲、ポップス、あらゆる音楽はあっていいのだ。アヴァンギャルドもそうである。何を脱線しているのだろう。もはや私などは12音列のほうが心地よく落ち着く。違和感などない。少なくともクラシックといわれているたぐいの音楽作品では、であるけれど。最後に演奏の出来云々は止しておこうと思う。<日本のチェロ曲半世紀>を思うということにこのアルバムの意義はあるのだろうから。