澄明な神域の音色の世界からロマンの薫り深く人間的な陰影をもった芳醇な響きへと100年の成熟を奏でるモーツアルトとブラームスの『クラリネット五重奏曲』
Mozart: Clarinet quintet, K.581 - Portal, Pasquier, Daugareil, Pasquier, Pidoux, Pennetier
投稿音源のものではありません。
人間味あふれふくよかで魅力的な音色を持つ管楽器として親しまれているクラリネット。ジャズでのベニーグッドマンなど映像でも知るにおよびポピュラーな人気さえも持つ。もちろん親しまれ歌い継がれているフランス童謡の「クラリネットをこわしちゃった」がよりいっそうその楽器の認知をひろめているようだ。私たちの世代はともかく、子どもたちにはとりわけ親しまれているようだ。カセットから流れる童謡集には必ずといっていいくらいあったように記憶する。ほのぼのと楽しい歌であった。石井好子訳詞のうた
ぼくの大すきな クラリネット
パパからもらった クラリネット
とっても大事に してたのに
こわれて出ない 音がある
どうしよう どうしよう
オ パキャマラド(注)
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
・・・
パパからもらった クラリネット
とっても大事に してたのに
こわれて出ない 音がある
どうしよう どうしよう
オ パキャマラド(注)
パキャマラド パオパオ
パンパンパン
オ パキャマラド
パキャマラド パオパオパ
・・・
(注)【クラリネットを一躍親しみやすい楽器にしたのが、童謡「クラリネットこわしちゃった」である。誰でも幼稚園や小学生のときに1度は歌ったことがあると思うが、この中に「オー、パキャマラード、パキャマラード、パオ、パオ、パン、パン」とある。ただの語呂合わせではない。歌手の石井好子によれば、フランスの原題は「私はドの音を無くした(jai perdu le do)=ジュ・ペリュデゥ・ル・ド」(作詞作曲者・不詳)という子供向けの行進曲で、パキャマラードの意味は、歌詞に出てくるオパ・キャマラド(Au pas camarades)「みんな足並みそろえて」を子供向けに言い易くしたとの事である。】(WIKIPEDIA)
このクラリネットを使っての名曲2作品が収録されたCDが今日取り上げるアルバムである。いつものように古典名曲は大いに利用させてもらっている町の図書館にて借りてきたもの。モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581(1789)
ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調Op.115(1891年)の名曲中の名曲二作品。ブラームスの作品はすでにマイブログにて≪絶巓なす響きの芳醇、ロマンと悲愁の極み 。熟成の生の薫り高い室内楽。ブラームス『弦楽五重奏曲第二番』と『クラリネット五重奏曲』。≫とタイトルしてとりあげた。モーツアルトの透き通った悲しみをも感じさせる音色にクラリネットはよりいっそうの色を添える。豊かな音色と情感の潤い。濁りの無い室内楽の世界は神の手のものなのだろうと感じさせる。この「クラリネット五重奏曲イ長調K.581」は1789年、モーツアルト没する2年前の作である。かたやのブラームスの
「クラリネット五重奏曲ロ短調Op.115」はおおよそ100年一世紀を隔てての名曲であり、
ブラームス晩年、没する6年前の作品である。ともにこうした晩熟の境地から生み出された作品であることは興味深いことだった。CDはモーツアルトの曲から始まりブラームスへとつづくのだけれど、この移り変わる瞬間がなんともいえない<おっ>という言葉がついて出てくるほどの、まさに100年の音楽の成熟を深く感じさせるものだった。ピュアーな神域の音色の世界からロマンの薫り深く人間的な陰影をもった芳醇な響きへと明瞭な変化を感じさせて、まことこの二作品を対比的に鑑賞することの愉しみを与えてくれるアルバムだった。
ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調Op.115(1891年)の名曲中の名曲二作品。ブラームスの作品はすでにマイブログにて≪絶巓なす響きの芳醇、ロマンと悲愁の極み 。熟成の生の薫り高い室内楽。ブラームス『弦楽五重奏曲第二番』と『クラリネット五重奏曲』。≫とタイトルしてとりあげた。モーツアルトの透き通った悲しみをも感じさせる音色にクラリネットはよりいっそうの色を添える。豊かな音色と情感の潤い。濁りの無い室内楽の世界は神の手のものなのだろうと感じさせる。この「クラリネット五重奏曲イ長調K.581」は1789年、モーツアルト没する2年前の作である。かたやのブラームスの
「クラリネット五重奏曲ロ短調Op.115」はおおよそ100年一世紀を隔てての名曲であり、
ブラームス晩年、没する6年前の作品である。ともにこうした晩熟の境地から生み出された作品であることは興味深いことだった。CDはモーツアルトの曲から始まりブラームスへとつづくのだけれど、この移り変わる瞬間がなんともいえない<おっ>という言葉がついて出てくるほどの、まさに100年の音楽の成熟を深く感じさせるものだった。ピュアーな神域の音色の世界からロマンの薫り深く人間的な陰影をもった芳醇な響きへと明瞭な変化を感じさせて、まことこの二作品を対比的に鑑賞することの愉しみを与えてくれるアルバムだった。