yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

民俗音楽・語法からの不況和音の強烈放鳴が不羈なる精神性を強く感じさせるバルトーク『弦楽四重奏曲・3番・4番』。

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Bartok String Quartet no.3 2 Movment

         

ベーラ・バルトークBartók Béla
イメージ 2シェーンベルク、ベルク、いや最高に張りつめ、透徹厳しいウェーベルンを聞いた身には、新古典派と称される作曲家群はなにかつまらなかった。ひとは、とりわけ若人は極端を好むの謂いのとおり、その中途半端がおもしろくなかったのだ。というわけで、ストラビンスキーやバルトークもお付き合い程度に名作を聴いていたにすぎない。多少の知識ぐらいはといった感じであった。調性からの逸脱破壊、不協和音に時代変革のパトスを聞いていた身にはなんだか煮え切らないねといった印象であった。時代に厳しく屹立し、まるで<冷えさび>の如く傾舞(かぶ)いて極なる輝きをはなったウェーベルンのまえには、二人とも軟弱怯懦であった。土からも血からも離れる冷厳さをもたなかった。勿論それはそれでいいわけで、そうした拠って立つ<場>で音楽史、業績を形成したのは否定しようもなく、多くの傑作を残している。ところで私がバルトークもなかなかやるじゃないかといって聴いたのは弦楽四重奏曲だった。例の如くNHK・FMでタイトルも分からず中途から耳にし、スピリチュアルで引き締まった密度のあるいい作品だとの印象をもった。それがバルトーク弦楽四重奏曲だった。それは民俗音楽・語法からの不況和音の強烈放鳴が不羈なる精神性を強く感じさせ、いたく感動させたのだった。その感動を綴ろうとの思いでのブログ稿が今日の記事である。具体的なこまごまは、はや記憶のかなたへ飛んでいってしまっていた。ただ先のような印象だけが残っていただけだった。で、一番から六番までの残された作品のうち、なぜかよく言われるように五番に傑作が多いとの安易な推量から五、六番の入ったアルバムから聴き始めた。しかしなんだか違う。一、二番のものも違う。で、このときジャケット解説文の<無調(接近)時代のバルトーク>の文字が目に留まったのが、三番四番の併録のアルバムだった。針を降ろしたとたん、まさしく時代の軋みを強く感じさせる<民族音楽からの不況和音の強烈放鳴が不羈なる精神性を強く感じさせ>る弦楽四重奏曲が流れてきた。当然、美しいといったたぐいのものではない。しかし民族・民衆音楽の考究から練り上げられた語法とそれらへの慈しみが底流に強くあり、それが魅力となっており退屈させない。それはとりわけ四番に顕著といえる。いずれにせよ≪彼の弦楽四重奏曲としては最も素晴らしい作品である「第3番」と「第4番」を作曲した。≫(WIKIPEDIA)との評はおそらくおおかたの認めるところとして肯んぜられるものだろう。バランスがもっとも取れている作品はおそらく「第3番」と私には思われるが、さてどうだろうか。ベートヴェンの弦楽四重奏曲以来の重要性をもつ傑作であるとの評を耳にしたりはするが、その言はひとまず措くとしても、無調、不協和音の時代の音を民俗への慈しみのうちに取り込み、時代性を独特のバイタルな強烈放鳴で、その不羈なる精神性をみごとに弦楽四重奏曲で示し得たことは確かなことと言えるだろうか。