yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ベラ・バルトーク『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』(1936)と『管弦楽のための協奏曲』(1943)。

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Béla Bartók - Music for Strings, Percussion and Celesta, I

             

ベラ・バルトーク 
イメージ 2きょうも先の日曜日に図書館で借りてきたCD鑑賞をする、の記となった。名曲中の名曲といわれている、いや事実そうなんだけれど、バルトークの『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』(1936)。それにナチスの戦禍を避けてアメリカ合衆国へと亡命し、かの地にて1943年に作曲された『管弦楽のための協奏曲』の2作品が収められたアルバムである。なぜかこの名曲が手元のコレクションにないのだ。もちろん幾度となくメディアの放送などで視聴していたはずなのだ。なのにである。たぶん無調を捨て、調性へと自らの指針を振り向け確かのものとしたその姿勢、音楽が、シェーンベルクとりわけわが愛するウェーベルンの対極に位置するごとく変節怯堕と映じたために遠ざけたということだったのだろう。それは若き日のことどもであれば、若人は極端を好むの謂いの通りであり、むべない判断でもあっただろう。その若人に許容できたのは先日のブログに取り上げた弦楽四重奏などの無調の傾向性をつよく持つ作品までであった。要するにこうした一般的評価を得るにいたる傑作を生み出すまでの、民俗への慈しみのまなざし、情熱と荒々しささに不羈なる気骨を感じさせたバルトークのみが評価の軸だった。なのにであった。ようするにまとまりすぎており、美しすぎ、派手すぎたのだったろう。これが<地と血>に足をつけての革新の意気燃えていたバルトークかというわけだった。なんでも若き日<リヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはこう語った》に強烈な衝撃を受け>(WIKIPEDIA)たとのことだけれど、なるほどと感じさせるロマンへの回帰でもあったのだろうか。それはとりわけアメリカ亡命後に作曲された『管弦楽のための協奏曲』につよく感じる事だ。それと、私にはアメリカということで短絡にすぎるか分からないが、ハリウッド映画音楽、それもスペクタクルな映画音楽をその楽音に連想させたのだ。ちなみに永遠の名作「風と共に去りぬ」は1939年制作のハリウッド映画である。バルトークは新大陸アメリカの文化に馴染まないと言っていたそうだけれど、なにやら怪しげとも思えるほどこの『管弦楽のための協奏曲』はスペクタクルを感じさせ、存外バルトークはかの地での生活は快適幸せだったのではと思えないでもない。それほどにこころは晴れやかとでもいった曲風であり、スペクタクルである。まるでアメリカンナイズされたリヒャルト・シュトラウスとでも言いたくもなるような受ける要素に満ちた、完成された曲といえるだろうか。これと同時期44年に作曲された「無伴奏ヴァイオリンソナタ」のあの見事なまでの引き締まった品格の精神性を感じさせる作品とはどう結びつくのだろうと思ったりもする。それは私だけのうがった感じ方だけでもなく≪アメリカ移住後のバルトークの作品について、「それまでよりも大衆受けする方向へ変化した」と言う評がよく見られるが、この作品(「無伴奏ヴァイオリンソナタ」―引用者)はそれとは対照的に非常に緊張感の高い曲である。≫(WIKIPEDIA)とのことばがある。これは確かなことと思える。さて、緩やかでかつ緊張感湛えて荘重な弦の響きで始まる『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』。これは時局風雲急を告げる、ナチスの嵐が吹き荒れる時代の真っ只中での作曲である。たぶんそうした時代の重苦しい時局の影がまったくないとは言い切れないだろう。こうした歴史事象にひき付けてバルトークを論ずる事は避けるべしとは、このCD解説をしている作曲家・諸井誠の言葉である。はたしてそうだろうか。アメリカンナイズされたとも聞こえるスペクタクルな『管弦楽のための協奏曲』の明快さと比べれば、どっしりと低く構え緊張を湛えたそのスピリットの高さの見事さは数段勝り、傑作の賞賛得るにふさわしいといえるだろう。ここには「無伴奏ヴァイオリンソナタ」につながるものが底に流れていると思いたい。ところで、ここまできてふと思った。ずいぶんと前の拙ブログに登場した私の好きな作曲家松村禎三は、たぶんこのバルトークの『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』と共鳴しているのだと思った。戦後すべとを失い焦土と化した中、民族精神を支え歩むに託し得る音楽とはこの『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』のバルトークでもあっただろう。