yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

やはり日本的余情・余韻がひびく『小出信也による現代日本のフルート音楽』(1971)。

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Mei for Solo Flute - Kazuo Fukushima

           

小出信也
イメージ 2きょうは、アルバムとしてはちょっと地味な感じがしないでもないフルートの現代音楽作品集。タイトルは『小出信也による現代日本のフルート音楽』(1971)。地味というのも、たんにフルートという楽器がその音色を気品と優雅でイメージされるように派手さがないゆえにという意味なのだけれど。ところでこのアルバムのメインとなる演奏家は長年NHK交響楽団にて活躍し積極的に現代音楽の演奏に取り組み、≪演奏者、教育者として日本フルート界の発展に尽力し、多大な功績を残した。≫(WIKIPEDIA)師である林りり子作曲家・林光の従姉)や吉田雅夫らの先達の築いた礎のもと、さらなる発展に大きな寄与をした小出信也である。とりわけ先にも言ったように現代音楽への取り組みが際立っていたフルーティストといえるだろうか。そのことは逆に言えば作曲家の創作意欲をそそる演奏家ということでもあったのだろう。おおかたのイメージ 3聴者が感じると思われるフルートの音色の尺八に似てなんとはなしに感じさせる日本的な余韻。そうした特長がこの楽器への親しみを私たちに感じさせるのだろう。ここに収録された作品はそうした印象のさせる作品でしめられているのだけれど、その極みは戦後の前衛芸術活動を展開していた芸術史上のグループ、実験工房にも参加していた福島和夫(1930 - )の<和>の静謐と余韻を感じさせる「エカーグラ」(=ひとつことに集中することを意味する梵語)と、タイトルのそのものずばりのイメージを感じさせる「」である。この曲は自らも招聘され講師を務めていたダルムシュタットの、60年前後の≪現代音楽の最前衛の動向を紹介する重要な講習会≫であった「夏季現代音楽講習会」を主導していたドイツのシュタイネッケ博士の死を悼んで作曲された作品である。そもそもはイタリアの現代音楽のスペシャリストであるフルート奏者のガッツェローニにより委嘱された作品でもあったということである。いまや世界中で数多く演奏されている傑作となっている。「弔笛 (しのびふえ)。笛の音は比世と彼世、ふたつの世ながらに響くという。「冥」くらい。ふかい。遠いとおざかる。黙して思う。宇宙的無意識。」という作曲者の言葉が作品に付されているように、<能>の伸び縮みする引き締まった空間と時間を強く感じさせる精神性の高い、余情と余韻に幽玄印象深い作品といえるだろうか。次の丹波明(1932 - )の「フルートと弦楽オーケストラのための室内楽」(1962)。これもやはり<和>の響きを感じイメージ 4イメージ 5させるものの練成と才を思わせる音作りでまとめ上げられているいい作品と印象した。また三宅榛名(みやけ・はるな)の「ピッコロ・フルート、フルートとギターのための音楽」(1967)と「銀河鉄道の幻想」(1970)の、世代的にもやはり吹っ切れた印象のする2作品も収録されており、それにももっと言葉紡ぎたいところだけれど、根が尽きたのでここらで擱くとしよう。違った作風を持つ現代音楽の3人を扱うのはやはりしんどいことだ。ジャケットタイトルデザインの「冥」のカリグラフィーを見ての、その<書>の想像通りの音が鳴っているのは確かである。シンプルでいいデザインアルバムだ。

福島和夫                                    丹波