yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

虫がすだくのではない、電子ノイズがすだき鳴くのだ。鳥が囀るのではない、電子ノイズが囀(さえず)るのだ。人工・擬自然の新鮮な電子ノイズの響き。デヴィッド・チュードアの『RAINFOREST』(1968)

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David Tudor - Rainforest (version1 complete)

               

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デヴィッド・チュードアDavid Tudor
イメージ 3イメージ 4先ほどのゴールデンウイークの折、繁華街にあるタワーレコードへ、ラジオで流れていて印象よかった白神 典子ブルックナーのピアノ曲!を探しに言った。<いたってシンプルで、やさしさに満ちた美しい曲。しかし店頭には見当たらなかった。またの機会とし、結局以前より探していた超アヴァンギャルドのデヴィッド・チュードアDavid Tudor(1926 - 1996)の「レイン・フォレスト」1枚のみのショッピングに終わった。>とブログに記したその当のCDアルバムが今日取り上げるものである。やっと聴く精神状態になった。以前マイブログで<電子器械のなんとも孤独な鳴き声、雄たけび、哀しい悲鳴、泣訴のようにも聞こえてくるデヴィッド・チュードア(1926 -96)の『MICROPHONE』(1973)>と題して驚愕の電子ノイズを紹介したけれど、一聴、やはり期待に違わず面白かった。買ってよかった一枚である。『RAINFOREST(レイン・フォレスト)VersionⅠ』(1968)。モダンダンスののための伴音楽としてパフォーマンスされたもので、ライヴ・エレクトロニクス作品である。日本の小杉武久と二人でのライヴで最後には拍手まで採録されている。最初の「レイン・フォレスト」の音源は58年であり、ライヴゆえその後ヴァリエーション変容加えられCDに収められたのが『RAINFOREST(レイン・フォレスト)VersionⅠ』(1968)というわけである。タイトルの意味するところの緑なす<熱帯?雨林>での人工生命のうごめき、その生命の発する音、響きのエレクトロニクパフォーマンスと括れるだろう。雨したたる深々とした森の中、そのなかでの虫の声、鳥の鳴き声などとイメージさせる電子ノイズ音響。そのように聴こえてくるから不思議なのだけれど。たぶんこの音は小杉武久だろうと思わせる、すだく虫の音、しじまに竹を打つごとくの間の緊張を感じさせる打音、たぶんこのパフォーマンスのみごとさは小杉の感性与って大なるものをイメージ 6感じさせる風情である。みごとな電気ノイズによる人工・擬自然の提示といえるだろう。いわゆる擬した効果音ではない、それらを拒絶したところの人工・擬自然のエンヴァイラメンタル(environmental)な電気ノイズ自然の現出といえるだろうか。フィールドレコーディングのそれでなく、あくまでもライヴエレクトロニクスでの人工・擬自然の響きであるところがまことに新鮮である。フィールドレコーディング音源ゆえの生々しさがないだけにみょうに落ち着き、また慰撫されるのも不思議な感覚である。さて次の『SLIDING PITCHES IN THE RAINFOREST IN THE FIELD:REINFOREST Version Ⅳ』(1973)は約52分の、やさしい、ヒューマニティさえ感じさせるノイズサウンドでつつまれる不思議な世界の体験である。このブログに貼り付けた写真でお分かりのように「レインフォレスト」とは、ようするに音源ともなる天井から吊り下げられた、さまざまなガラクタともいえるオブジェの森でもあったのだ。つまりは、その森に踏み込んだ観衆がつるされたサウンドオブジェクトの「レインフォレスト(熱帯?雨林)」を歩くインスタレーションであり、そのオブジェと、その森を歩き回りしてのガラクタのオブジェとの交歓によりつくりだされる音を音源としてライヴにコンタクトマイク等で拾い、電子変調、ループが加えられてスピーカーを通して会場に流される。会場にはそうした音で満たされるといった具合である。観衆・人を介した人イメージ 5工・擬自然の「レインフォレスト(熱帯?雨林)」の出現というわけである。徐々に変調された音が積み重ねられ、多層化し膨らんでゆくにつれ、虫のすだく音や、囀る鳥の鳴き声や、生き物のこれといった定かのない渾然とした命の音で満たされてゆく、この不思議な≪An Electro-Acoustic Environment≫なノイズ体験はまこと新鮮で心地よいものである。ノイズ数寄にはたまらないアルバムといえよう。虫がすだくのではない、電子ノイズがすだき鳴くのだ。鳥が囀るのではない、電子ノイズが囀(さえず)るのだ。電子ノイズとの戯れ、遊びであり、電子が呼び寄せる環境音楽世界であり電子と人との出会いがつくりあげる新世紀のエンヴァイラメンタル(environmental)バックグラウンドミュージックともいえるだろう。なんというヒューマニスティックな響きに満ちた人工・擬自然の出現だろう。エレクトロニクスがもたらす生命賛歌とやさしさに満ちたこのノイズワールドは驚きである。アートフィッシャルなノイズに癒されるとは!といったところである。傑作の評にいつわりはない。