yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

日本のフリージャズ<創生から成熟へ>の熱き奔流を共に生きた高木元輝の、ときに咆哮し内省に緊張感湛えるサックス『MOSURA FREIGHT』(1975)。

イメージ 1

Hmong Involvment in the Vietnam War

    

イメージ 2先日に引きつづいてのサックス奏者、高木元輝のアルバム『MOSURA FREIGHT』(1975)を聴く。前回は、冨樫雅彦とのデュオアルバムだった。音盤になったいきさつが、いささかセンセーショナルな連続射殺魔・永山則夫を扱ってのものだった。また時代背景にもシビアーな政治動向が横たわっていたこともあり、興味深いものだった。ところでこのアルバムが出された1975年をネットで覗いてみると、ベトナム戦争の和平がなった年であった。という意味では歴史的な懸案事項の解決により時代がおおむね太平の世へと歩を進めたといったところだろうか。ふだん歴史を振り返って事を為すを生業(なりわい)としない身であってみれば、記憶は曖昧なものだ。フリージャズ動向もこうした時代の流れとパラレルに<創生から成熟へ>とイメージされるだろうか。69年の国内ブレークから、74年のヨーロッパ席巻というように、山下洋輔の世界への羽ばたきと正に軌をいつにしているのもそうしたことの証左といえるかもしれない。もちろんこの高木元輝のフリージャズでの活動の展開も、おおよそ同じような内実を持って動いていただろう。ちなみに、彼の生年は1941年生まれであり、佐藤允彦山下洋輔(42年2月)らと同じである。ネットで「70年代日本のフリージャズを聴く!」なる音盤の再発シリーズが存在しているのを知った。こうした企画がなされるほどに、確かに時代はタギッテいたことは確かなことだと思える。日本のフリージャズの<創生から成熟へ>の熱き奔流を共に生きた高木元輝の咆哮するサックス、とりわけ内省に緊張湛えるサックスをこのアルバム『MOSURA FREIGHT』で堪能することになるだろう。ただ、高木元輝は、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ傑作「people in sorrow」を好んで演奏するらしいけれど、ここでもそのフレーズ・パフォーマンスが聴かれる。しかし「悲しみ」というより、インテリジェントで技巧的に高度で抽象的な美しさといった印象で収まるのは、音楽することのスタンスの違いによるのかも、と思ったりする。