yuki-midorinomoriの日記

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政治の季節真っ只中に実存(主義)哲学の「疾風怒濤」。ジャン・ポール・サルトル3分冊の『存在と無』(人文書院・松浪信三郎訳)。

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イメージ 2きのうの投稿記事はグールドのモーツアルトピアノソナタ全集」だったけれど、なぜかジャン=リュック・ゴダールの映画が想いだされると枕で述べた。実存、その投企としての人間的自由。実存主義マルクス主義。その二つのイデオロギーのはざ間で若者はゆれ動いていた。分からないなりにあれやこれやと齧っていたのだった。紫煙くゆらせバリケードの中、また外と、議論が沸騰していた。政治の季節真っ只中、それと共に、若き自意識の、現実との捩れに傷つきのたうち渦まく嵐(そう云えば、シュトルム・ウント・ドランクSturm und Drang「疾風怒濤」ということばがかつてあったようだ)。そんななか、実存主義といえばジャン・ポール・サルトルJean-Paul Charles Aymard Sartreだった。ノーベル文学賞も拒絶した、まことに華々しく輝いて、戦闘的なアンガージュマンの哲学者だった。とりあえずは、彼の哲学的小説の「嘔吐」や戯曲だったようだ。何とはなしにそこで<実存主義>のニュアンスを知るといった具合だっただろうか。だが肝心のサルトルの主著『存在と無』は大著と難解ゆえ、お手軽な解説本や「サルトル論」で安直に間に合わせていたのが本当のところだっただろう。ご多分に漏れず私もそうだった。実際に読んだのは社会人になってからのことだった。鬱々とした日々の生活に腐臭漂わせて屈託していた時期にこそ紐解き読んだのだった。奥付を見ると昭和49年5月12日・日曜日読了と鉛筆書きの文字が記されている。20歳代半ばをすぎてのことだったのだ。情けないことに殆んど、まったくと言っていいほどさっぱりと忘れ去ってしまっている。書物を飯の種にするのをナリワイとしているわけでもないのだからと言い訳と慰めをひと言云わせていただこう。もちろんザルであることがそもそものことなのだけれど。ところでいつもの事ながらWIKIPEDIAを覗いて次のようなサルトルの哲学「思想」として簡潔に記述されている項があった。【サルトルにとって存在とは、「それがあるところのものであり、あらぬところのものであらぬもの<l'être est ce qu'il est et qui n'est pas ce qu'il n'est pas.>」である。このようなあり方は即自存在<être-en-soi>といわれる。このような即自存在とは区別される対自<pour-soi>としての人間は、「それがあるところのものであらず、それがあらぬところのものであるもの」として実存<exister>するといわれる。
AはAであるといわれるのは即自存在においてのみであって、対自においてはAはAであったとしか言われえない。対自はかりに存在といわれたとしてもそれ自身は無<néant>である。このようなあり方における実存が自由であって、対自としての人間は自由の刑に処せられているといわれる(人間は自由であるように呪われている。<condamné à être libre>)。
とはいえ、他人から何ものかとして見られることは、わたしを一つの存在として凝固させる。他者のまなざしは、わたしを対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である<L'enfer, c'est les Autres.>。そのうえ、死においては、すでに賭けはなされたのであって、もはや切り札は残されていない。わたしを対自から永久に即自存在へと変じさせる死は、私の実存の永遠の他有化であり、回復不能の疎外であるといわれる。
しかしながら自由な対自としてのかぎりでの人間は、現にあるところの確実なものを抵当<gage>に入れて、いまだあらぬところの不確実なものに自己を賭ける<gager>ことができる。このようにして現にある状況から自己を開放し、あらたな状況のうちに自己を拘束する< s'engager>ことは、アンガージュマン<engagement>といわれる。】といった具合である。手にとった我が3冊の『存在と無』は、線引きだらけであり、いかに悪戦苦闘読解していたか分かろうというものである。それなりにコメントが記されていれば想いだせるのだけれど、線引きだけである。≪無は、存在による存在の問題化であり、言い換えれば、まさに意識もしくは対自である。それは、存在によって存在にやってくる一つの絶対的な出来事であり、存在をもつことなしにたえず存在によって支えられる一つの絶対的な出来事である。・・・無より以外の何ものも、存在によって存在にいたることは出来ない。無は存在の固有の可能性であり、また存在の唯一の可能性である。・・・無は、人間存在という一つの独特な存在によって、存在にやってくる。けれども、この独特な存在は、それがそれ自身の無の根源的な企てより以外の何ものでもない限りにおいて、自己を人間存在として構成する。人間存在とは、それがその存在において、またその存在にとって、存在のふところにおける無の唯一の根拠であるかぎりにおいての、存在である。≫線引きだらけゆえ限がない。≪私は、あるところのものである存在のかたわらにおいて、「いまだない」および「すでに」というありかたで、私がそれであるべきであるところの、この根源的な否定である≫。限がないといいながら≪人間存在が自由であるのは、人間存在が十分には存在していないからであり、人間存在がたえず自己自身から引き離されているからであり、「人間存在がそれであったところのもの」が、「人間存在がそれであるところのもの」や「人間存在がそれであるであろうところのもの」から、一つの無によって、切り離されているからである。それは要するに人間存在の現在的な存在そのものが<反射―反射するもの>という形もとにおける無化であるからである。人間は、彼が自己であるのではなくて、自己への現前であるがゆえに、自由である。それがあるところのものであるような存在は、自由ではありえないであろう。自由とは、、まさに、人間の核心において存在されるところの無であり、この無が、人間存在をして、存在する代りに、自己を作るように強いるのである。・・・人間存在にとって、存在するとは、自己を選ぶことである。・・・人間存在は、最もこまかい細部にいたるまで自己を存在せしめなければならないという、支えのない必然性に、いかなる種類の助けもなしに、まったく委ねられている。。それゆえ、自由は、一つの存在であるのではない。自由は人間の存在である。いいかえれば、自由は、人間の「存在の無」である。≫。≪死は、ひとつの偶然的な事実である。この事実は、かかるものとしての限りにおいて、原理的に私から脱れ出るものであり、根源的に私の事実性に属するものである。・・・死は、誕生と同様に、一つの単なる事実である。死は外からわれわれにやって来て、われわれを外へと変化させる。・・・死は、私の選択の、選ばれた裏側、逃げ去る裏側として「限界状況である」・・・死は自由を限界つけるのではない。むしろ、自由は決してこの限界に出会わないがゆえに、死は、決して私のもろもろの企てに対する一つの障害ではない。死は、ただ単に、それらの企ての、他のところにおける一つの運命である。・・・死は、つねに私の主観性のかなたにあるものであるから、私の主観性のうちには、死にとって、いかなる場所も存在しない。≫以上(人文書院・松浪信三郎訳「存在と無」より)