yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

引き締まった空間と多彩な音色の動き魅せるも、初期作品であり、控えめな<小振りのブーレーズ>といった印象もつジルベール・アミ『ドメーヌ・ミュジカルDOMAINE MUSICAL』

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Gilbert Amy, Diaphonies - Pierre Boulez Domaine Musical Ensemble

             

ジルベール・アミGilbert Amy
イメージ 2小振りのブーレーズといったら失礼になるだろうか。≪御大ブーレーズのあとがまとして。1967年から1973年まで、ピエール・ブーレーズの後任としてドメーヌ・ミュジカルを監督≫(WIKIPEDIA)といった経歴から安直に思ってしまっているのかもしれないが。いやいや決してと言い切れないところも苦しいことだけれど。
今日の取り上げるアルバム『ドメーヌ・ミュジカルDOMAINE MUSICAL』には、A面の自作品2つと、B面にはドメーヌミュージカルアンサンブルを指揮してのウェーベルン3作品が収録されている。
先に小振りな印象と言ってしまったのも、その2作品のうける印象が、ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」や「プリ・スロン・プリ」を幾分エクセントリックで鋭角的な音色感をソフィティケートした感じといったらいいだろうか。
以前拙ブログにも3稿投稿したけれど、その共通する印象を≪引き締まった空間と多彩な音色の動きがすばらしい。ともかくすばらしく緊密に流動しているのだ。≫と綴った。【緊張感にあふれる音色の運動性の展開】(解説・秋山邦晴)≪音色の配分、音色の運動性といったアミの特色的なその音楽の方法論によって、静かに、またときにドラマティック】(同・秋山邦晴)とのプロの評言もあった。
今回の作品「ディアフォニーDIAPHONIES」(1962)と「インヴェンションINVENTION」(1959-1961)は作曲者ジルベール・アミの初期作品であり、それゆえか、控えめな<小振りのブーレーズ>といった印象を持つのだろう。確かに、以前ブログに登場した作品等は70年を挟んでの、これらよりも後の作品で、音色に厚みが増した豊麗さを貌とする作品たちだった。しかし骨格は変わらない。
さて イメージ 3アミ指揮するウェーベルン3作品。演奏内容どうのこうのは私には分からない。音色に違和がないので良いのだろう。作品は「4つの歌曲OP.13」(1914-48)、「5つの小品OP.10」(1913)、「協奏曲OP.24」(1934)の3作品。
まったく<堪らなく美しい>とひとまず云っておこう。これらに共通するウェーベルンの作風は「5つの小品OP.10」で、解説者のジャン・ピエール・ゲゼックJean・Pierre・Guezecがいみじくも述べている。すなわち≪簡潔さ、精密さ、鮮烈な詩情を生む厳しさ、・・・メロディーの分散、テンポの控えめな揺れ、ほとんど全般にわたって低音を除外した音域の設定、純音の力を回復させている輝かしい音色、つねに透明な緻密さ、このようなことが、無駄な饒舌を嫌い、より澄んだ明晰さとより明らかな簡潔さとを志向していたウェーベルンの作風の秘密であるように思われる。≫これ以上に何を付け加えることが出来るのだろう。
極北の透き通った簡潔・寡黙、屹立・峻厳の美学アントン・(フォン・)ヴェーベルン(Anton (von) Webern, 1883 - 1945)!。時代は、≪「語りうることは明瞭に語られうるが、言いえないことについては沈黙せねばならない」、「示すことができるものは、語るわけにはいかない」≫と論理の極北を目指したルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、 1889 - 1951)。現存在の存在・世界を「存在と時間」に開示したマルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889 - 1976)、時空間概念を革命した相対性論のアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein1879 - 1955)ら綺羅、星のごとくであった。




Anton Webern, Fünf Stücke, Konzert, Gilbert Amy, Pierre Boulez Domaine Ensemble