yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

自然の摂理、賜物としての鳥の鳴き声、さえずり。存在が紡ぐ音楽。オリヴィエ・メシアン『鳥類譜』(1956-58)LP4枚組み。

イメージ 1

Olivier Messiaen - Catalogue d'oiseaux: Le traquet stapazin (Black-eared Wheatear)

               

オリヴィエ=ウジェーヌ=プロスペール=シャルル・メシアン
イメージ 2オリヴィエ・メシアンOlivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen,( 1908 - 1992)の『鳥類譜』(1956-58)LP4枚組み。これが今日取り上げるアルバムである。読んで察せられるとおり、鳥の鳴き声を採譜してのピアノ作品。自然がつくりだすリズムと音色を鳥の鳴き声に聞きだし受容(信仰篤きメシアンにとっては神よりの捧げものでもあるだろう)としてしての、いささか奇異なとも聴こえ響く現代ピアノ作品集。全13曲トータルおよそ3時間になろうかという大曲である。その各々につけられているタイトルは、その採譜した鳥の名前が当てられている。それは、翼をもった神の御使い、その鳥への敬愛をしめし、それらへの献呈をも意味する。(ちなみに、レコードボックスに収められている小冊子は楽曲解説というものではなく、まるで鳥類図鑑である。楽曲の解説などはしようがないのだろうか、それとも鳥への篤い思いのあらわれなのだろうか。)ところで≪1949年、現代音楽に重要な影響を与えた作品、「音価と強度のモード」が作曲された。この曲では音高にのみ音列を用いた十二音技法を更に発展させ、「音高」「持続」「強度」「アタック」の四要素においてそれぞれに関連づけたパラメーター用いられ、後のブーレーズの「構造 I」を初めとする「総音列(セリー)音楽」への入口を開いた。メシアン本来の作風とはかけ離れた実験的性格の強い作品ではあるが、その後の現代音楽に与えた影響ははかり知れない。≫(拙メシアン関連ブログより)その戦後音楽史の画期より後、≪1953年来より音楽語法探求のための鳥の鳴き声の採譜に没入し、多くの作品をものしたリズム探求の時期≫に入る。その結実でもあるのが、この『鳥類譜』(1956-58)であったと言えるのだろう。この鳥の鳴き声を採譜し作曲の素材とすることには≪一見聞いたことのないような奇異な感じで児戯とさえも印象するが、ところでメシアンのこうした鳥だけではなく、自然からリズム、音楽語法の探求を飽くことなくしつづけていたことに対してブーレーズは次のように言っている。以下は拙ブログからの(再)引用である。【彼(オリヴィエ・メシアン)の音楽の「例外的な強靱さはリズム、つまり時間概念にあった」。こんにちの音楽における「リズム概念の革新の重要さを私たちに理解させたのがメシアンであり、その根源に《春の祭典》があった」とブーレーズが言う。・・・・・「彼は鳥の鳴き声、岩山、風景、色彩、山々といった自然からインスピレーションを受けたのではない」とブーレーズは続ける、「そうではなく、彼はそれらが語るものをそのまま音楽に移し換えたのだった(…)メシアンにとって音楽とは、そうした宇宙的な現象の一環であり(…)、作曲とは、そもそも<コンポジット>(組み合わせ)という言葉を内包する作業だった。メシアンは自身の複雑な音楽思想の彼方に子供のような新鮮さとあらゆることに感動できる感性を持ち続けることに成功した。」≫(「音楽の友」1992)これらのことばは、オリヴィエ・メシアンにたいする、優れた思想的批評家でもあるブーレーズの見方である。このことばを目にし、ふとジョン・ケージの≪子供の時に子供でいるより、大人になって子供になるほうがいい。≫ということばを思い出した。そこでこそ露わになり、より見えてくるものがあるということだ。】(同、拙メシアン関連ブログより)≪世界の民俗のリズムの探求といい、とりわけ鳥の鳴き声の採譜といいそれらが音楽形成に大きな位置を占めることはつねに言われてきていることだ。一見児戯に見えないこともない。

松岡正剛――カオスを単なる混沌というふうに見るのは間違いですね。力学系としてのカオスはボルツマンのエルゴード仮定として初めに科学史に登場して、これをポアンカレが突きとめるんだけれど、なかなかおもしろい問題でね。最近ではプリゴジン散逸構造として広い意味でも理解されはじめているらしいし、それにコンピュータ数学が発達してカオスから情報が生成するらしいことも注目されています。要するに数学のことばでいえば「非線形振動系」というのがおもしろい。はやりの生物物理学的にいうと「非線形非平衡開放系」ですね。そこにはカオスからコスモスに至る自己編集化の相が見えてくる。これを別の言葉でいえば、いわばリズムの本質とは何かということですよ。

中沢新一――エピクロスも、ズレながらカオスを突っ切る時のことを音楽だといっている。

松岡正剛――音楽というか、リズムでね。生命系にとってのリズムというものはリミット・サイクルなんです。リミット・サイクルというのは平衡からうんと離れた開放系でおこる。<内秩序形成過程>といったもので、いわばこの世の時間を生んでいるプロセスに当たっている。世の中には空間的な内秩序の形成と時間的な内秩序の形成があって、空間的な内秩序は僕の好きな鉱物の結晶なんかでもおこっているけれど、時間のオーダーの生成は非平衡系のなかでしかおこらない。そういったことは二十世紀後半の科学がやっとつきとめつつあることなんだけれど、歴史をよく振り返ってみたら古代の自然哲学者も似たようなことを考えていたわけだよね。

中沢新一――それがマテリアリズムの最初だったというのが大きいと思うのね。古代の唯物論というのは、結局、自然を覆っている神様のベールを引き裂くことですよね。その神様のベールというのは物体のあり方を見えなくさせているのと同時に、意識そのものをものすごく制限した状態にさせている。まあ言ってみれば頭を悪くさせるために、神様はいるわけですよね(笑)。それに対して神様のベールを引き裂いて人間の大脳を覆いつくしているものを破壊してゆくことがマテリアリズムだった。現代はそれが逆転しちゃっているでしょう。たとえば、精神世界を主張する連中はマテリアリズムを批判するけれど、これはまったく逆倒だと思うんですね。神秘主義でも何でも最初はマテリアリズムだった。

松岡正剛――マテリアリズムというか、マテリアそのものから万物は流転しているわけで、その物質の経験の流れから精神の経験の流れも出てきているわけですね。・・・・

松岡正剛『間と世界劇場』より)

鳥の声に隠れてある<それ>を視、そして聴いたのだろうか。<それ>に祈り荘厳の神秘の音を紡いだのだろうか。<それ>を万物の創造主といい神というか。賜物としてのすべての存在が紡ぐ音楽。≫(以上メシアン関連拙ブログよりの再掲)

イメージ 3この長大な奇異ともひびくメシアンの鳥の鳴き声を素材とするピアノ作品『鳥類譜』を聴いていると
以前メシアンの作品の印象評して≪神を奏でるには創造(造物)主が与えられた自然の神秘(摂理)を、たとえば鳥の鳴き声のリズムのうちに鷲づかみする必要があったのだ。≫まさしく≪摂理に祈る人である。≫とのことばをもう一度とりあげて、拙ブログよりの再掲だらけの稿を擱えることとしよう。ピアノ独奏はイヴォンヌ・ロリオ Yvonne Loriod。ひじょうに輪郭鮮やか明晰との印象であった。すばらしい。