yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

(1) 『THE AVANT GARDE STRING QUARTET in the USA』。聴きものです。再発、廉価NAXOS盤にあり。

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再発、廉価NAXOS盤
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Lejaren Hiller: String Quartet No. 5 [2/3]

            

イメージ 3どうしてか、解説書も何もないLPレコードだけでの3枚『THE AVANT GARDE STRING QUARTET in the USA』、およそ総2時間の、しかも現代音楽のみの鑑賞記となる。これは難行である。聴くだけならなんでもないけれど、言葉を紡ぎだ出さなくてはブログにならないのだから。それに、良かった悪かった面白かっただけでは話にならない。少なくともどう感じたかぐらいはコメントしなくては鑑賞した甲斐、いやブログに投稿する甲斐がない。と言うわけでこの盆休みと言うまとまった時間を幸いに取り上げイメージ 4てみた。
外出すれば札束が羽を生やして飛んでゆくご時勢でもあり、このようなまとまった休暇はじっとしているのが貧乏人の処世法というものである。さて順を追って簡単な印象をとりあえず記していこうとおもう。まず、ステファン・ヴォルペStefan WolpeString Quartet』(1968-69)。まことに正統的な音列技法にのっとての美しい作品。もはや古典的な美しさを湛えた良品といえるだろうか。こういう練り上げられた無調は心地いいものである。自分の立ち位置への矜持を聴き取るのイメージ 5は私だけだろうか。
つぎに、ジョン・ケージらと革新行動を共にしたアール・ブラウンEarle Brownの『String Quartet』(1965)。この人の特徴はエッジの聞いた鋭い音色処理、響きということだろうか。たぶんこれはすべてが計算しつくされてのものではなく不確定の出会いのなせる技でもあるのだろう。このダイナミズム(エキセントリックでもある)を伴った思わぬ音の出会いが作り出す一閃の煌めき、斬新、緊張感はひじょうな魅力だと言えるだろうか。
さて次なるは、これこそ戦後現代音楽の、弦楽四重奏作品の傑作と私が思っているジョン・ケージJohn Cageの『String Quartet in Four Parts』(1950)。この作品は開設間もないブログ投稿記事に載せた。ノンヴィブラート奏イメージ 6法が奏でるさやさやとした涼しげな音色は、ひじょうに風変わりで、中世的素朴さ、東洋的感性の音の世界を思わすものがあり、何か心癒されるものがある。ケージの50年前後の、エリック・サティーのようなシンプル極まりないピアノ音楽作品の持つ雰囲気と相同のものがある。現在、ケージのそうした初期ピアノ作品が顧みられ頻りにCD作品化されているようだけれど、革命家の前史としてますますその評価は高まってゆくことだろう。さやさやと寂しく、しかし慰撫されるのだ。このユニークな『String Quartet in Four Parts』もそうした相同の評価を得ての傑作として、のちのち演奏の頻度増すことだろう。それだけの作品であると私は確信している。ケージという感性のみが作りえた独特の音楽作品といえるだろうか。
次のElectric string quartetイメージ 7と名うたれている如く電子変調を加えられた弦楽4重奏でのジョージ・クラムgeorge crumb の『Black Angels (images1) ・thirteen images from the dark land for Electric string quartet』(1970)。電子変調がもたらす、非常なテンションを効果的に使った作品と先ず言えるだろうか。この作曲家は宇宙的な、ダークで深奥なイメージをこのむようだ。そうした音使いに満ちていると言ったらおおよそ了解出来るのではないだろうか。たしかにアコースティックな特殊奏法と電子処理の加味が作り出す音の再弱音から最強音までのワイドレンジな振幅の激しさと緊張感は面白く、それ以上に最弱音でのその効果が静謐な広がりを獲得しており、面白く聴けた。
さて次のレジャレン・ヒラー Lejaren Hillerの作品『String Quartet No.5(in QuarterTones)』(1962)。この作曲家は世界で最初にコンピュータで、と言うよイメージ 8り、作曲のアイデアの必要性からデータ計算処理のためにのみ使って、曲つくりをして名を馳せた人物で有名である。以前拙ブログで次のように投稿していた。≪『イリアック組曲Illiac Suite for String Quartet』(1957)はコンピュータを作曲のための計算処理に使って作曲された世界で最初の作品といわれている。レジャレン・ヒラー (Lejaren Hiller) (1924-1994) とレオナルド・アイザックソン (Leonard Isaacson) による、イリノイ大学のコンピュータILLIAC Iを使ってのもの。そもそもこのレジャレン・ヒラーは化学者でランダム・ウォーク理論(今で言う複雑系・カオス理論?)の研究のためにイリノイ大学のコンピュータILLIAC Iを使っていたそうである。≫化学者と音楽家の二束の草鞋だったそうである。しかし今回のこのボックスに収録されている弦楽4重奏作品がそうしたコンピュータを介してのものなのかどうか、はっきりしたことは分からない。先に言ったようにレコードのみが入っているだけというお粗末なシロモノゆえ詳細が分からない。とはいえ演奏は<THE CONCORD STRING QUARTET>と記されているから不足はないのだけれど。何れにせよ、この収録作品『String Quartet No.5(in Quqrter Tones)』も風変わりな音色、奏法に彩られた作品である。ただ構成的にひじょうにかっちり(古典的でさえある)したところが窺えるのに、そのハードな音色と構成感の兼ね合いが奇妙な印象を抱かせていて面白く、只者ではない印象を抱かせる。
さて3枚目に入ってきた。もう少しだがんばろう。次は、イメージ 9レオン・キルヒナー Leon Kirchner。さすがその経歴に恥じぬ作品を聴かせてくれる。1919年生まれと言うからはや90才になんなんとする高齢(ちなみにジョン・ケージは1912年生まれ)だけれど、土台が出来ていますね!とことばがついて出てくるほどのいい作品である。この作品は電子音とアコースティックとの競演といった趣で、さぞライヴではいきいきと音が流動していて輝いた印象ではないかと思われる。いい作品だ。ブーレーズらより幾分先輩格のこの世代の作品は音列技法をとるにせよ、はっきりした旋律ではないけれどロマンティックな美しさを保持しており聴いて失望しない。その意味で大いに聴いていただきたいものだ。
さて次は、これもケージらと行動を共にしていた作曲家のクリスチャン・ヴォルフChristian Wolff。もう点描主義、すべてをそぎ落としたその簡素簡潔ぶりは、此処に極まれりといった風情で、ウェーベルンそのものといっていいくらいであり、演奏時間もごく数分と言ったところである。しかし精神は厳しく起っている、と言った印象である。
さていよいよ、最後の3枚目SIDE6までやってきイメージ 10た。ジェイコブ・ドゥラックマン Jacob Druckmanの作品『String Quartet No.2』(1966)。その昔、手に入れ鑑賞してどのような印象をもっていたのかまったく記憶にないけれど、意外に素晴らしかった。ハツラツとした印象であった。若気の至りで極端、過激ばかりを好んで聴いていたのでたぶん舌打ちでもして聞き流していたのだろう。経歴を見るとやはりヨーロッパ系の作曲家に師事している良質が如実と言った印象である。極端な特殊奏法をつかって粋がるような、これ見よがしは無いけれど、東部アカデミズムの古臭さはあまり感じさせない。しなやかさを具えているということなのだろう。