yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

(2) 『THE AVANT GARDE STRING QUARTET in the USA』。聴きものです。再発、廉価NAXOS盤にあり。

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再発、廉価NAXOS盤
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さてさていよいよ最後、やっときましたと言うところだ。締めくくりはこれまたケージとの交流で、いや、彼の死後、作品CD化のラッシュで最近とみにその盛名高らしめているモートン・フェルドマンMorton Feldmanの、これまたヴォルイメージ 3フと同様ごく数分の短い作品『Structures for String Quartet』(1951)。先のケージの作品とわずか1年違いである。云うまでもなく、ピアニッシモの弱音が持続的にポツポツさやさやと奏でられその静謐な独特の世界が味わい深い作品である。いや深く沈滞して静やかに生きている風情である。世界はこうでも在るのだろうと思わせる。耳そばだて自然の摂理を聞けとでもいわんばかりの静謐である。あるいは祈りと言ってもいいのかもしれない。こんにち、人は見ることに性急で聴くことを久しく忘れてきている(疎かにしている)ようだ。≪人の五官は、視覚と聴覚とを主とする。見と聞とが、外界に対する交渉の方法であった。しかしそれは、単なる感覚の世界の問題ではない。「みる」とは、その本質において、神の姿を見ることであり、「きく」とは、神の声を聞くことであった。そのように、物の本質を見極める力を徳といい、また神の声を聞きうるものを聖という。徳は目に従い、聖は耳に従う文字である。≫(白川静「文字逍遥」・平凡社」)≪神々との交通のしかたは、神に祈りを告げること、そして神がそれに応える声を耳聡く聞くことからはじまるのである。・・音こそが霊なるものの「訪れ」であった。・・神の姿は肉眼にみえるものではない。ただその「音なひ」を聞くことだけができた。「きく」ことは、「みる」こと以上に霊的な行為であった・・・≫(同上)と云ったことばがある。

ネットを覗いていてこの盤の再発と見られるものが廉価盤NAXOSにあった。現代音楽に興味をお持ちの方は是非とも聴いていただきたいものです。『CAGE / CRUMB / HILLER / DRUCKMAN / FELDMAN / WOLPE: American String Quartets of 1950-1970』



レジャリン・ヒラーとジョン・ケージとの共作作品『HPSCHD』
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40367009.html

レジャリン・ヒラー『イリアック組曲Illiac Suite for String Quartet』マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40330584.html
レジャリン・ヒラーが1958年に創設したイリノイ大学実験音楽スタジオで制作された作品『ELECTRONIC MUSIC from The University of Illinois』
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40720218.html