yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『春の祭典』のストラヴィンスキーは凄い。それにもまして、『春の祭典』を、斯く現実化した指揮者ピエール・ブーレーズも、もひとつ凄い。

イメージ 1

Stravinsky's "The Rite Of Spring" :Sir Simon Rattle -- Documentary Excerpt

        

イーゴリ・フョドロヴィチ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky, 1882 - 1971)
イメージ 2今日は、なんと!?ストラヴィンスキー。というのも名曲はつねにといってもいいくらいにNHK・FMで流されていることだし、最近は図書館でも、限られているとはいえ名曲なら借りることができる(贅沢を言ってはいけない)というわけで、大枚はたいて購入所有する気は今までほとんどおこらなかった。しかしこの音楽ブログをもつにいたって、図書館に常備されていない名曲、とりわけ後期ロマン派以降の作曲家ぐらいは中古CDででも手にしないとと思っていた。そんなところに、通勤途上の国道沿いのBOOKOFFを久しぶりに立ち寄り覗いたら、びっくり、あるではないか。オープン当初、品揃えのその貧弱さに殆んど関心失い見向きもしなかったのに、久方ぶりの道草で、その様変わりの品揃えの充実を前に、長時間の選り好みとあいなった。そこで見付けたのがイゴール・ストラヴィンスキーの『春の祭典』と『ペトルーシュカ』が2曲入ったブーレーズ指揮のものだった。なんでもこれは、再録もので初録のほうが荒々しく好ましいとの意見もあるらしいことをネットで知った次第。いつ頃だったか忘れたけれど、たぶん新譜紹介ということで流されたのだろう、そのブーレーズの『春の祭典』には驚き、いたく感激したのを憶えている。それがどちらのものかはわからないけれど、ともかく、誰もが印象としてあげるあの変拍子の≪拍節構造を無視したリズムと音色の乱舞≫(解説・佐野光司)に極まる「いけにえの賛美」から最終章「いけにえの踊り」へといたる凄まじさ。その前哨の斬新なリズムを伴った「春のきざしと乙女たちの踊り」「春の踊り」。今まで味わったことのないなんともいえぬ荒々しい力強さと高揚感。これはストラヴィンスキーのというより、ブーレーズの天与のリズム感受能力が、荒々しく且つ透徹明晰な理性が放つその鮮烈のダイナミズムの成せる技ではないのかと思わすほどに画期であった。以前未だ黛敏郎が健在のころの「題名のない音楽会」でこの≪拍節構造を無視したリズムと音色の乱舞≫の「いけにえの踊り」の箇所がいかに演奏者泣かせの、変転極まりない変拍子で、演奏の難しい部分であるかを特集で取り上げていたのを見たことがある。なぜこのストラヴィンスキーが、とりわけ、これら『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』などのバレエ音楽がもたらした革命性がいかに凄いことであったかなどはプロの評論家の言説指摘に目を通すとして、それにしても、躍動するこの胸の高まりはなんなのだろ。このエネルギッシュに爆発する胸の昂ぶりはなんなのだろう。もうこの一曲で音楽史に楔を打ち込んだと言いたくなるほどである。『春の祭典』のストラヴィンスキーは凄い。それにもまして、『春の祭典』を、斯く現実化した指揮者ピエール・ブーレーズも、もひとつ凄い。CDの帯に解説・佐野光司は次の如く記している。≪「一瞬たりとも気を緩めない緊張の持続、音楽構造の細部の緻密な描出、各楽章のテンポの設定の周到な配慮、どれをとっても超一流の演奏である。・・・・この演奏を聴いているとストラヴィンスキーを全く別な視点から捉え直さない限り、今後これ以上の演奏が今世紀中にでるとは思えない」≫これは大げさな、売らんかなの宣伝文句ではない。正真正銘の真(心)から出た評言、賛辞といえるだろうか。私もブーレーズの『春の祭典』には感激したことでもありそう信じたい。あらためて凄いのひと言である。