yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

先日鬼籍に逝った、陰にこもる風変わりな松村禎三作品『クリプトガムCryptogame』(1958)と壮麗なオーケストレーションに驚く團伊玖磨『交響曲第3番』(1960)。

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松村禎三 - ピアノ協奏曲第2番 Teizo Matsumura - Piano Concerto No.2 (1978)

               
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松村禎三
イメージ 2先日、新聞訃報欄に作曲家・松村禎三の名が目を打った。このブログでも再三取り上げた。私の好きな作曲家であった。≪松村禎三のオスティナートに極まるダイナミックなオーケストレーション≫として4枚組みの作品集を取り上げた。そして、
松村禎三(1929)間宮芳生(1929)三善晃(1933)の62・63年の輝くばかりの弦楽四重奏曲≫、≪武満徹と同世代の傑れた作曲家、間宮芳生『オーケストラのための2つのタブロー65』と松村禎三『交響曲・1965』≫、≪岩城宏之指揮による松村禎三『管弦楽のための前奏曲』(1968)、三善晃『管弦楽のための協奏曲』(1964)、それに武満徹の『テクスチュアズ』(1964)を聴く≫などの作品を取り上げ、すでに紹介した。12音列とか無調とか時代の流れにおもねる事はなく、自分の音を表現する、その姿勢は見事であった。上記の拙ブログで記したことどもを再録しよう。以下のごとくであった。≪目新しいものが泡沫のように現れて消え去り、感動の裏づけもなく、興味と、何かに追い立てられるような焦燥をもって、新しい音楽の輸出入業が殷賑を極めている時に、満員電車に乗り遅れまいとすることがかえってその洪水に呑み込まれて足元を見失う結果に至らないと誰が断言できるだろうか。現代日本の作曲家は、東洋の古典には無関心でもよいが、シュトックハウゼンの曲は取り寄せて研究しなければならない、というのは本当に正しいことであろうか・・・・≫(松村禎三)。こうしたことば、音楽観はたぶん、音楽への道へのとば口での、武満もそうだったが、結核という病におよそ五年にも亘る長い闘病を強いられた中で、焦燥のなか耐えて培われたものだろう。病に伏さざるをえず、諦念と断念に屈託する青年にとっては、それゆえにこそみなぎる生の躍動、自然の悠久へと託すロマンは渇望、希求するものでもあっただろ。それゆえか生命力の感じられない(痙(ひ)き攣った)十二音列無調音楽は自分にとっては無縁であるとまで言い切っていた。洗練され熟成された固有の美学が然らしめる抑制された激情のロマンティシズム、雄渾極まりなく揺動する圧倒的なオーケストレーションの重層するパワーに息を呑み、またその孤愁に秘めた情熱がつむぐ旋律の美に感動する。屈託と諦念に醸成された生の実質、燃焼へのたぎる思いは、激しいロマンの情動となって斯くまで素晴らしい作品に帰結した。武満もいい。だが松村禎三のこの洗練された真正のロマンも同様いい。聴くべしである。≫。また別の稿では≪松村禎三交響曲・1965』。彼は、結核という長い闘病生活で鬱勃と雌伏していた頃に≪「12音音楽って言うものを聴いて、こんな風にエネルギーのない痙ったものならば、ぼくにとって音楽は無縁なものでもいいとさえ思ってたね。」≫と語ったそうである。そうした間に≪アジア的な発想をもった、生命の根源に直結したエネルギーのある曲を書きたい。≫との音楽感を醸成していった。そしてまた≪私に最も近く感じられた古典的作品として、ストラビンスキーの「春の祭典」をあげることが出来るが、あの楽観的なディアトニックの旋律と、舞踊に結びついた明快なリズムはもはや私のものではなかった。・・・・もっと混沌とした巨大な音の堆積のようなものが漠然と私のイメージの中に棲みついていた。≫それは≪生命力をもった個々の単位が集積されて一つの野放図な太い実体を形づくっているさま(―アジア諸国に見る巨大な、仏・石像の集塊群に見る生命力)は、まさに快哉を叫びたいほど、私のイメージを代表していた。・・・・西洋ルネサンス以後のポリフォニーやホモフォニーという概念を離れた<アジア的発想>による音楽の構築であり、いわば西洋的二元論ではなく、東洋的一元論に立脚した音楽表現の達成であった≫(松村禎三)。導入部からしてなにかしら予感を感じさせる内的意識・精神のストーリー感じさせるうごき、一気にその流れへと魅き入れるつかみの見事さ。精神の緊張に張り付けるパセティックな音響の反復重畳の厚み、糸ひくがごとし弦の最高音の持続と最低音が絡み作り出す引き締まった厳しい音響空間。それは疼く心に民俗のはるけし声を聴くおもいでもある。束ね引き回す土俗的エネルギーのオスティナートに極まる精神の緊張と高揚を響かして見事である。魂の奥深く秘められた<生>のストーリーをダイナミックに且つ厳かに聴くこと確かである。≫≪具体でありつつも俗にながれず、緊迫緊密の度失わずに、叙情としての感性美を繊細且つ骨太く強固にうたいあげた音楽作品として昇華せしめた稀有の作曲家だと私は思う。音の厚みボリューム、には何度聴いても圧倒される。伊福部昭がその師事したうちの一人であろう事がその音作りの一端に垣間見えるようだ。松村禎三、日本が誇るべき現代音楽作曲家の一人であることは間違いのないことだろう。≫と賛を贈っている。これは揺らぐことのない私の松村禎三への賛である。ぜひとも聴いていただきたい作曲家であり作品である。とは言うものの、今日の取り上げる松村禎三作品『クリプトガムCryptogame』(1958)はその意味する<隠花植物>がイメージする如くに、いささか≪「陰性的な響き」≫への(感覚的)嗅覚からくる興味の下に作曲されたとコメントされているように、アブノーマルな匂いがしないでもない、変な感覚で落ち着かせない、彼にしては珍しい作品である。上記に取り上げた松村禎三の音楽観と重なりはするだろうけれど、この作品へのコメントを再度引用してその姿勢となりを胸に留め置くこととしよう。≪ドの次にレがくるかミがくるかということより、私には銅鑼と低い金管楽器がどのように融和するかといったようなことのほうがよほど先に関心の対象になる。高さと長さを寸断して高等な数学様のものを編み出すより(=12音列、セリー音楽、引用者注)私はまず動物のようにある種の響きに涎を流す。万物の霊長として恥ずかしくとも私は私自身に正直であるよりしかたがあるまい。・・・西洋流に合理主義的に音を細分し構築するその思考法から“音楽”が
始まらねばならないといった作曲上の固定観念が長いあいだ日本にも行き渡っていた。それはcomposeということばの意味自体でもある。・・・わたしはもちろんcomposeする。・・・しかし、私は常に音響そのものを素手で摑んでいきたい。・・・西洋楽器を使う限りドレミを離れて音楽を書けない。問題はその出発点である。・・・裸ではじめるか、西洋人の編み出した既成の定理の上に始めるかという違いである。・・・≫(松村禎三)是非、この骨太、腕っ節のほどを聴いていただきたいものだ。さて、最後わずかのスペースになってしまったけれど、もう一面の収録曲團伊玖磨(だんいくま)の『交響曲第3番』(1960)。この作曲家の名は≪1953年 芥川也寸志黛敏郎と「三イメージ 3人の会」結成。≫(WIKIPEDIA)として知りはしていたが、エッセイシストとしての盛名ほどには、ほかの二人ほどに馴染みがなかった。しかし今回このアルバムで『交響曲第3番』を聴くに及び、そのスケール感たっぷりのオーケストレーションの見事さに驚いた。もっとまじめに聴かなくてはと思った次第であり、それほどに素晴らしかった。そうでなければ「三人の会」結成などに至らなかったことだろうといまさらながらに納得したことだった。ちなみに團伊玖磨の作曲した童謡では「おつかいありさん」、「ぞうさん」、「やぎさんゆうびん」が有名。



團伊玖磨 交響曲第3番 Ikuma Dan - Symphony No.3 (1960)