yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アルフレット・シュニトケのCD2枚組み『弦楽四重奏曲集』。研ぎ澄まされた刃先の上で聴いているようなテンション。重層、複雑なんのその、かなわんなと呟きもれる匠の技。聴くのに疲れる音楽だ。

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Schnittke: String quartet No.1 (movements II-III)

            

イメージ 2さっそく日曜日に図書館へ赴きアルフレット・ガリエヴィチ・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934‐1998)のCD2枚組みのクロノス・クァルテットによる『弦楽四重奏曲集』を再チャレンジとして借りてきた。ひとまず、強烈といえば強烈、しかし異常なまでピーンと張りつめた弦楽の世界に見え隠れする宗教的モチーフや、民族的香りのする音色処理、エキセントリックな様相をみせつつ、静かに激する精神の高揚。緊張を強いられる弦楽四重奏の世界と言ったらいいのだろうか。これは聴くのに疲れる音楽だ。癒しの音楽ではない。研ぎ澄まされた刃先の上で聴いているようなテンションが強いられる。もっとも年代的に80年代に入っての、自らのいわゆる≪多様式主義≫の確たる展開となる時期の作品「弦楽四重奏第3番」(1983)となると、伸びやかさをもっての、さまざまな音楽形式の自在な処理がなされ、また旋律的にも親しみを覚える音作りがなされ、幾分かは聴きやすくなってくる。解説によると≪まず冒頭、3つの引用断片が現われる。すなわちオルランド・ディ・ラッソの「スタバト・マーテル」から一つの終止形を含むフレーズ、ベートーヴェンの「大フーガ」の主題、そしてD-S(Es)-C-Hという4音のモティーフであるが、最後のモティーフは、ドミトリー・ショスタコーヴィチの名前にもとづくドイツ音名によっている。またベートーヴェンの主題とショスタコーヴィチのモティーフは、音程的に関連しあっている。この3つの引用が、曲全体を貫く中心的素材として、絶妙の手法によって展開、処理されていくのである。≫(解説・柿沼敏江)と説かれている。弩シロウトにはその作曲家・シュニトケの、技、匠のテクニカルな内実など分かろうはずはもとよりないのだけれど、響いてくる弦の世界に違和を感じるどころか、弛緩のない流麗と緊張はこの作品、作曲家の質を示しているのだろう。≪1985年には脳血管発作に倒れ、昏睡に陥った。たびたび医師に死を宣告されながらも、奇跡的に回復して、作曲活動を続けた。≫(WIKIPEDIA)とある、その重篤な危機を経て後の89年に作曲された「弦楽四重奏曲第4番」は、やはりそうした事の影といえるのか、陰気、不穏、不気味といった言葉が、解説者でなくても口をついて出てくるほどのテンションである。しかもそれが分厚く多層的に、嫌になるほどの、いや、かなわんなといった表現にぴったりの匠の技で、圧倒的な弦を響かせるのだ。この一点だけでも聴くに値すると言っておこう。最後に収録されている≪アルメニアの僧侶で詩人でもあったグレゴリー・ナレカツィ(951-1003)の「嘆きの歌の書」の翻訳をテキストとした<混声合唱のための協奏曲>の一部をクロノス・クァルテット(演奏者―引用者注)が編曲した≫「あらゆる歌詞に悲しみが満ちている歌曲選集」(1984-85)は感動的であった。こういう宗教的<かなしみ>は、到底及ばないと思うととイメージ 3もに≪映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。≫(WIKIPEDIA)その時代の修練の賜物でもあるのだろうか。哀切に、かつくすぐり泣かせる技も匠の内にあるようだ。


弦楽四重奏曲 第1番」(1966)
「カノン~ストラヴィンスキーを偲んで」(1971)
弦楽四重奏曲 第2番」(1980)
弦楽四重奏曲 第3番」(1983)
弦楽四重奏曲 第4番」(1989)
「あらゆる歌詞に悲しみが満ちている歌曲選集」(1984-85)