yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

リヒャルト・シュトラウスの壮麗な管弦楽、オーケストレーション『アルプス交響曲』(1915)。

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Renee Fleming - Strauss Four Last Songs - Strauss' 4 Last Songs - Im abendrot Renee Fleming sings the 4th of Strauss' vier letzte lieder. Proms, 2001.

        


<第4曲「夕映えのなかで」 長い旅をしてきた二人が、夕映えのなか、ある静かな小高い場所で眼下の田園を見渡している。音楽は、夕焼けの中に広がる非常に雄大な風景を表すかのように始まる。その二人がいる丘から二羽のひばりが空に昇っていく。そういった「広々とした、静かな平和」を感じながらも、人生のさすらいに疲れた二人は「死」を目前に予感している。その中で憩い、浄化されることを思い描いているかのように音楽は静寂に向かう。>YAMAGUCHI Hiroyuki's Web Siteより

       夕映えの中で (詩:アイヒェンドルフ(Josef von Eichendorff)) Im Abendrot

       わたしたちは手をとりあって
       苦しみや喜びの中を歩いてきた
       そしていま静かな土地の上に
       さすらいの足を止めて憩う

       まわりの谷は沈み
       空には闇が近づいている
       二羽のひばりだけが夜を夢見るように
       夕もやの中に昇っている

       こっちに来なさい、小鳥たちはさえずらせておこう
       もうすぐ眠りの時が近づくから
       この二人だけの孤独の世界で
       はぐれないようにしよう

       おお、広々とした、静かな平和よ!
       夕映えの中にこんなにも深くつつまれて
       わたしたちはさすらいに疲れた
       これが死というものなのだろうか


イメージ 2ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)級の神童であり、天才と謂われている(と聞く)リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss。たしかに、作曲家、三枝成章(彰)の「大作曲家たちの履歴書」(中央公論社・1997)でも努力を積みかさねての晩成型ではなく、神童タイプとあったように評されていたのを記憶している。(図書館での立ち読みだけれど)その、いわゆるドイツロマン派の最後の巨匠といわれているリヒャルト・シュトラウスの壮麗な管弦楽オーケストレーションを聞こうということで『アルプス交響曲』(1915)を図書館で借りてきた。なんでもこれはこの作曲家にとっては最後の(といっても戦後の1949年までの長寿を全うしたので何それって感じだけれど)管弦楽ということだ。その楽器編成もステージに収まりきれずの舞台裏の奏者を抱えるほどの大規模で、尚且つ普段は使われないような珍しい楽器も使われているそうである。ところで、これほどの歴史上の作曲家だから、小さいわが町の図書館でも、ほかに数点、もちろん歌劇「サロメ」とかもあるのだけれど、どうした理由(読み落とし?)でか、先の「大作曲家たちの履歴書」の中で、この作品が<失敗作>と指摘され、歌劇「サロメ」が画期をなす傑作とされていた。ということもあり、というより正直なところ、昨日のブログで取り上げた「名曲・名盤300」(レコード芸術)には名曲としてシュトラウス作品8曲のうちにいれられていたという、この評価の割れ方に興味を抱き、その<失敗作>とやらを借りてきたのだった。もちろん私には、どうした理由でそうなのか皆目分からなかったけれど。交響詩といっていいこの作品の表題性格からくるイメージの、展開のまとまりの欠如とかを言ってるのだろうか。構成とか展開とかの点でのことなのだろうか。それにしても、やはりオーケストレーションの気宇壮麗、流麗さは指摘されるまでもなくすごい。(ところで、「交響曲は俗っぽく、管弦楽法はオーバー」との批評をアメリカの批評家(ショーンバーグ)から賜っているそうだけれど)最後の余韻をもった終わり方はずいぶんと印象的だった。それは昨日のブログに貼り付けた「辞世の句」とも言われているそうだけれど「四つの最後の歌」の第3曲にも感じたことだった。おおむねそうなのだろうか。そうしたこともあって、図書館にあるほかの作品も機会があれば手にし聴いてみたく思った。

R. Strauss - An Alpine Symphony (Proms 2012)


ところで、この作品は≪R.シュトラウスが14歳(15歳との説あり)の時に、ドイツアルプスのツークシュピッツェに向けて登山をしたときの体験が、この曲の元となっている。・・・1911年からガルミッシュ=パルテンキルヒェンの山荘で『アルプス交響曲』としてのスケッチを開始し、1914年から本格的な作曲に取り掛かった。≫(WIKIPEDIA)とあるように、シュトラウス44歳の時に自作品の成功により得た莫大イメージ 3な資金を投じてツークシュピッツェ山の麓に建てた山荘にて完成されたそうだ。ただ山荘といっても瀟洒なそれといったものではなく≪広々とした庭のど真ん中に建つ、バイエルン風の造りの堂々たる邸宅≫(解説・志鳥栄八郎)だそうだ。その、数々の作品が生み出された山荘・邸宅が、部屋の中の造作、調度品まで見れるネットページがあったので、下に貼り付けておきます。



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