yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

イサン・ユン、カスティリオーニ、フェレゲラ、ケレメン。実に、およそ50年、半世紀前の<現代>音楽の成果であり、実践であった。敬して聴くべし。

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Isang Yun - Quartet For Oboe And String Trio - II.part

          

イメージ 2Internationale Ferienkurse für Neue Musik, Darmstadt 1958,
von links nach rechts: Nam June Paik, Isang Yun, Francesco Yosio Nomura, John Cage





ミルコ・ケレメンMilko Kelemen(b1924,Zagreb)、ニコロ・カスティリオーニNiccolo Castiglioni(b1932、Milan)、ヴィットリオ・フェレゲラVittorio Fellegara(b1927,Milan)、イサン・ユンIsang Yun(b1917,South Korea)。以上の4人の作曲家の作品が収められた作品集。私の拙い音楽ブログで既に登場している、それも個人集として取り上げているのはイサン・ユンIsang Yun一人だけのはず。それほどに抜きんでているのだろう。といっても、アメリカの現代音楽の強力なオーガナイザーであった、アール・ブラウンEarle Brown(1926 - 2002)が監修していたアメリカ・メインストリーム盤で紹介された作曲家たちの作品だから、みなよく出来ている。懐かしさもあるけれど、今聴きなおしてみて、あの点描的なセリエルな響きの世界がことのほか美しい。過剰をこそぎ落としたシンプルな音の輝き、寡黙な精神の屹立と充溢、張りつめて拮抗する音たち。こういう世界もいいものだ。最近鬼籍に入ったマイフェイバリットのわが邦の優れた作曲家松村 禎三(まつむら ていぞう、1929 - 2007)は、生命力の感じられない(痙(ひ)き攣った)十二音列無調音楽は自分にとっては無縁であるとまで言い切っていた。しかしそうであっても、その純な美しさは抗し難い魅力である。ところでここに収められた作品は、いわゆるダルムシュタット Darmstadの夏季現代音楽講習会に参集した精鋭の1958年から60年の間の作品である。まさに時は革命児・ジョン・ケージがその講習会に殴り込みをかけた波乱の幕開けの年でもあった。それは逆に言えばトータル・セリエールとしての無調音楽の絶頂期であったということを証してもいるだろうか。その頃の成果として懐かしく、くわえて響きの緊張湛えたタイトな美しさを聴き知る作品集であるとしてこの稿終えよう。実に、およそ50年、半世紀前の<現代>音楽の成果であり、実践であった。敬して聴くべしである。


イサン・ユンisang yun、マイブログ――




松村禎三、マイブログ――










Internationale Ferienkurse für Neue Musik, Darmstadt 1956, Pierre Boulez (sitzend), Bruno Maderna (Mitte), Karlheinz Stockhausen