yuki-midorinomoriの日記

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岸田秀『性的唯幻論序説』。「人間は本能が壊れた動物である。」それゆえ意識・幻想の世界を築き上げ、ヒトは逆立ちして生きている。≪人類において性にまつわる一切は幻想であり、文化の産物なのである・・・≫。

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       「 人 間 は 本 能 が 壊 れ た 動 物 で あ る 」


「人間は本能が壊れた動物」であり、それゆえ意識・幻想の世界を築き上げ、ヒトは逆立ちして生きている。いわゆる「唯幻論」の説である。まこと、この精神分析学者の岸田秀(きしだしゅう)先生は風変わりで、画期的な人である。≪「自分が言いたいことは一つしかない、著作はこの一冊でお終いだ」≫と宣たまわったと聞く「ものぐさ精神分析」一冊を以って≪常識として疑われることなく通用している意味、観念を幻想といいきり、徹底的な相対化をおこなう、いわば「価値の紊乱(びんらん)」にこそ、この思想の独創性が見出せる・・・≫(WIKIPEDIA)と耳目をあつめたのだった。さて、そうした「唯幻論」でもって、本能と観念されている<性>をひっくり返してみせたのが今日取り上げる『性的唯幻論序説』という厳めしいタイトルが冠せられた新書である。この興味深い新書の、カバー解説には≪「人間は本能が壊れた動物である」・・・したがって性交も本能ではできない。人類は基本的に不能なのである。しかし不能のままでは人類は絶滅する。不能を克服するため、人類は本能ではなく幻想に頼らざるをえなかった。人類において性にまつわる一切は幻想であり、文化の産物なのである・・・≫とある。まさに文化現象としての性の奇態さ、多様性は斯く恣意的な幻想の産物としてしか了解出来ないのではないだろうか。時間的(歴史的)にも空間的(共時的)にも<?>という了解不能な事象にこと欠かないのが性にまつわる出来事だろう。いや幻想という幻想、観念、意識は本能の壊れた人間が生み出したものである。それゆえにこそ本源的に動物と分かつといわれる、コトバ・言語が恣意性を根拠とするという、畏ろしくも画期的なソシュール言語学説が価値相対性で人を不安にさせたのだった。ようするに確たる根拠などないのだと言い放ったのだった。無根拠だとい言い切ったのだった。世界の言語表現の多様さを恣意性のもとに無根拠として根拠づけたのだ。岸田秀の「人間は本能が壊れた動物」それゆえに生きるための存在要請として観念・幻想はあるのであり、コトバ・言語もまた相同である。はや人間は「唯幻」として文化文明、社会を恣意的に築き上げてきたのだということなのだろう。ソシュール言語学説と相同のひじょうにスリリングな考え方とおもえるのだけれど。