yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

記憶の忘れ物。モーツアルト19歳の作品『ヴァイオリン協奏曲第3番KV216]』。優しく心をつつみ込み慰撫する濁りなき清らかな音色との出合い。

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Yehudi Menuhin, Mozart Violin Concerto n°3 in G Major KV 216, Mv II Adagio

           
           投稿音源のものではありません。

イメージ 2その作品名は分からないものの印象深く耳に残っているフレーズと再会したときの喜びは格別のものがある。あるいは感動してまさに聴いている曲が、聴いたことはあるのだけれど何のタイトルか思い出せなくて歯がゆい思いをしたり、忘れ物をしたときの気分のように落ち着きなく、うかない気分で耳そばだて鑑賞した経験をお持ちのことだろう。それがあまりにも有名な作品であったりすると、ささやかな鑑賞歴からくるちょっぴりの自負心さえ揺るがせてしまうことと相なる。別にプロではないのだし、しかも膨大な古今の作品のディテール、フレーズなどのほとんどを憶えているなどはありえぬことと思われるのだけれど。それにしても、それらが大作曲家の名曲のものだったりすると、なおさら今までの鑑賞歴もいい加減なものだったと情けなさに切歯扼腕するといったこととなる。そうした出来事がつい最近あったのだ。以前YOUTUBEを覗いていたとき、それは絵画のスライドショーのものでバックにアダージョでゆっくりと流されていた音楽がことのほか良かったのだ。それはそれは濁りなき清らかな音色で優しく心をつつみ込み慰撫するのだった。たぶん楽器使いの印象、フレージングから・・・だろうと思いつつも確信がもてない。それはそれで記憶甦らず、分からずじまいで終えてしまったのだけれど。ところで、いつものとおり帰宅途上の車中FM放送からギドン・クレーメルGidon Kremer(1947 - )率いる「クレメラータ・バルティカ」演奏するアストル・ピアソラAstor Piazzolla(1921 - 1992)の作品(タイトル不明)が流されていた。とりわけクレーメルのヴァイオリンがすばらしかったのだ。ピアソラ作品への共感とタンゴのエキセントリックといえる情動の起伏がエッジの効いたヴァイオリンソロ演奏で魅きつけたのだった。で、さっそくいつものわが町の図書館へ赴き、ピアソラ作品の演奏などは入っていないけれどクレーメルのCD3枚組みの『ギドン・クレーメルの芸術』(1991)を借りてきたのだった。前からその存在を現代音楽演奏を数多く手がける名手とだけは知ってはいたけれど、それ以上ではなかった。エッジの効いた鋭い情動表現がすばらしかったので、さて古典ではとの興味もあって聴いてみた。前置きがあまりに長すぎたけれど、そこで<忘れ物>と再会したのだった。なんとモーツアルトヴァイオリン協奏曲第3番KV216』(1775年モーツアルト19才の作品)こそが、先の<・・・だろう>だったのだ。いうまでもなくその感動のアダージョといえば、≪第2楽章の情緒豊かな旋律とともにレオポルト・アウアーは「驚嘆すべきアダージョ」と称賛している。≫(WIKIPEDIA)まさしくその第2楽章だったのだ。アアそうだったのかと気分はいまや晴れやかである。ギドン・クレーメルの古典曲演奏は現代音楽とは違い抑制された真っ当な落ち着いた演奏スタイルだったことを記してこの稿終えよう。

Gidon Kremer :fuga y misterio:Kremerata Baltica plays Piazzolla