yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

J・S・バッハ『平均律クラヴィーア曲集・第1巻(前奏曲とフーガ第1番~第24番)』疲れた頭には≪己を虚(むな)しくして神にささげた音楽≫の傍らでこころ静かに休むのがよさそうだ。

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Bach WTC Volume 1 Prelude No 8 E-Flat minor Glenn Gould

               http://www.youtube.com/watch?v=CxmflfIBU8w

イメージ 2もう、最近は毎々と言うほど頭の回転がにぶい。なかなか音楽を聴いてもことばが口をついて出てこない。かといって身辺雑記を綴るだけのブログは、私にとっては、だけれど主意ではないので、さてどうしたものやらとあれこれめぐらすものの話しのネタが浮かんでこない。ということで大バッハには申し訳ないことだけれど、意気あがらぬ今日の音楽ブログに登場していただくことにしよう。『平均律クラヴィーア曲集・第1巻(前奏曲とフーガ第1番~第24番)』LP2枚組み。この曲集もどれほど折にふれ、ダビィングテープで繰り返し聴いたことだろう。もちろんピアノ演奏はグレン・グールド。聴き比べの趣味はあまり興味はない、と言うより、私のような素養のないシロウトには演奏技術うんぬん以前の所詮好悪、好き嫌いの判断以上のものではないので、最初に良いと思ったもの、出会ったものが絶対的である。それがたまたまグールドであったということにすぎない。今のところグールド以上の何の違和も感じさせないバッハには出会っていない。それは、どんな過去の大家、名人と較べても、である。思い入れと分かっていてもそうである。この教育用として作曲されたとも謂われている『平均律クラヴィーア曲集』も以前のバッハの拙ブログ稿で取り上げた「インヴェンションとシンフォニア・二声と三声のインヴェンション」と同様、≪「音楽の初心者向けで教育を目的として書かれたが、その音楽的内容はそれを越えて多様な味わいがあり、毎日弾いてもけっして飽きることはない。」と評されてあった。もちろん毎日聴いても飽きの来ない、嫌味のない、鼻につかない、稀な音楽≫といえるだろうか。また、つい先の稿で、一連のクラヴィーア曲集の総決算的作品と謂われている『パルティータThe Six Partitas BWV825-830』を取り上げたさい「≪つい先月、9月に青磁重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定された≪無私の心で「青」を追求・青磁にささげる中島宏≫紹介の記事の中に≪「私は自分自身のことを、いやらしいほど個性的な人間だと思っている。そんな私がこれから目指すのは、個性を越えた個性、ということ。それは日ごろかけっ放しにして聴いているバッハの音楽のようなものではないかと気が付いた。己を虚(むな)しくして神にささげた音楽。同様に自分の全くない青磁を造りたい。古来の青磁の名品に作者名はない。無地、無紋の焼き物が秘める深い美。それをこれから追求して行きたい。」≫と述べられていた。≪己を虚(むな)しくして神にささげた音楽≫のバッハを聴くでもなく聴き、世の是非を越えた無名の作へと希む芸術家。かけっ放しのバッハ。≫」と記した。そうなのだ、今日もそのバッハの≪己を虚(むな)しくして神にささげた音楽≫である『平均律クラヴィーア曲集・第1巻(前奏曲とフーガ第1番~第24番)』を「≪グールドの音楽のもっとも大きな魅力は、瞬間的な想像力のきらめきであり、即興的な変奏と装飾の技術にあるのではないだろうか。・・・ひと言でいってマニエリスム、つまりは主観主義的な幻想の音の世界を≪「秘法(マニエラ)」≫でもって作り上げ、伝統に挑戦した≪20世紀の生んだ特異な前衛演奏家≫」(評論家・船山隆)のグレン・グールドの演奏の傍らでココロ静かに頭休め、言葉の紡げない思考停止状態のブログ稿を塞いで閣えたいと思う。



J.S.Bach - Well-Tempered Clavier Prelude No.8 in E flat minor BWV 853 – Nikolayeva