yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

NAXOS盤のスカルラッティ『Complete Keyboard Sonatas Vol.1』。神の御姿は奈辺に在りや?現代音楽に通ずる斬新な演奏技術の粋とバロックの優美華麗さ。

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Domenico Scarlatti - Sonata in A Major

       

イメージ 2 J.S.バッハヘンデルらと同時代のドメニコ・スカルラッティDomenico Scarlatti(1685 - 1757)は、イタリアで生まれ、スペインのマドリードで没した作曲家。≪その時代の鍵盤曲に新しい用法を取り入れた重要な作曲家である。鍵盤楽器のための「ソナタ」と呼ばれる個性豊かな555曲の作品群で知られる。≫(WIKIPEDIA)なるほど廉価盤のNAXOSにソナタ曲集としてナンバーを打ってあるのが8まである。何を思ってこのNAXOS盤のスカルラッティの『Complete Keyboard Sonatas Vol.1』を買ったのか憶えがない。ま、あまりバッハばかり聴いていては間口が狭いと思ったのかもしれない。すこしは広げなくてはと手にしたものの、あまりの作品の多さに意気萎えてしまったのかもしれない。それはさておき、此方の勝手な思い込みなのだろうけれどイタリアということで<陽>のイメージがつきまとう。そのせいか<神>の御姿があまり感じられないのだが、どうなんだろう。神の御姿は陰影、翳りがあってこそとおもわれるが、さて。ドイツのバッハや、ヘンデル、すこし時代をさかのぼるイギリスのヘンリー・パーセルHenry Purcell(1659?-1695)らの精神のありどころとはいささかの違いがあるように感じられる。
この膨大な鍵盤ソナタ作品は、仕えていた王家の子女の教育用として作曲された由。同じくそうした教育の用も充たそうと作曲されたバッハの鍵盤作品とはやはり印象が違う。バッハはどちらかといえば<陰>のイメージが強い。だからこそ深みを感じさせるのだろう。沈思、瞑想、思索である。思い込みかどうか知らないが神への捧げものといったイメージが拭えない。≪己を虚(むな)しくして神にささげた音楽≫のバッハ。

「神を讃えることを唯一の目的としないすべての音楽は、音楽ではなくて混沌であり悪魔の騒ぎにすぎない。」(J・S・バッハ)

バッハを考えるにこの言葉は強烈であり、つねにここへと収斂する。とはいえこの<陽>のイメージがつきまとうスカルラッティの作品でも、やはりMINORの作品は、私にとってだけれど聴かせるものがある。そもそも我が心根が<陰気>でMINORである所為か、この『Complete Keyboard Sonatas Vol.1』のなかでもMINORの作品は好みであり、やはり良い。心落ち着かせるのだ。G minor k450、D minor k434、G minor k8、E minor k402。ま、単純なことで恥ずかしいけれどMINORの作品であれば良いのかもしれない。それと、このCDのスカルラッティの作品はピアノ演奏であるけれど、情報確認のためにネットを覗いていて、たまたまハープシコード演奏が聴けるホームページに出くわし、そのときにこのスカルラッティはやはり本来のハープシコードで聴くべきではないかと思った。断然この楽器の方が現代音楽に通ずるようなスカルラッティの斬新な演奏技術の粋とバロックの優美華麗さなどが味わえるのではないかと思ったのだ。幸いに?英文WIKIPEDIAGiuseppe Domenico Scarlattiのページでハープシコード演奏のMP3の音源が公表されているので、興味のある方は聴いていただきたい。