yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の編曲作品『室内交響曲作品110a』と『弦楽のための交響曲作品118a』。抑圧の時代状況下での自らの芸術活動の奮迅鼓舞を聴く。

イメージ 1

Dmitrij Shostakovich : Chamber Symphony Op. 110 a

             

イメージ 2ショスタコーヴィッチDmitrii Dmitrievich Shostakovich(1906 - 1975)の音楽なのに、なぜか作家のアレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィンAlexander Isaevich Solzhenitsyn, 1918 - )が思い浮かんできた。1918年ロシア社会主義革命以降のスターリン独裁政権下、≪「大粛清」の犠牲者数は諸説あるが、裁判により処刑されたものは約100万人、強制収容所や農業集団化により死亡した人数は一般的には約2000万人と知られている。1997年の文書の公開により、少なくとも約1260万人が殺されたことを現政府のロシアが公式に認めた。しかし、これは一部分であり、全ての文書の公開はされておらず、公開されるのはさらに時が経つのを待たなければならない。とりわけこの時のシベリアへの農民移住は悲惨を極め、このことが同時期の大飢饉と無関係ではあり得ないが、正確な犠牲者数は未だに不明である≫(WIKIPEDIA)斯くなる悲惨を思うとき、ソルジェニーツィンのそうした歴史的事実の告発の書『イワン・デニーソヴィチの一日』『ガン病棟』『収容所群島』などの衝撃を思い出したのだった。このような政治状況・背景のもとにショスタコーヴィッチの作品の多くが書かれたのだった。私たち団塊の世代にとっては、思い込みが強すぎるのかもしれないけれど、こうした背景抜きにショスタコーヴィッチの作品を聴くことはできないのだ。それにしても、先のソルジェニーツィンの作品群をどれほどの人が今現在(言うまでもなく、若人がであるけれど)読んでいるのだろうか。「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出に・・・捧ぐ」といった政治的プロパガンダより、むしろその響きに通奏するのは、悲劇、哀しみとしてのそれであり、抑圧の時代状況下での自らの芸術活動の奮迅鼓舞である。そうとしか私には聴こえないのだ。(いうまでもなく、政治・現実状況をすべて否定していたわけではないだろうけれど。あたらしき革命社会への希望も在ったことだろうが。)原曲はイメージ 3弦楽四重奏曲第8番」。そのオーケストラ用編曲作品であり、指揮者のバルシャイが編曲したものをショスタコーヴィッチが大いに賞賛し「・・・この方が私の原作より響きがいいよ。これに新しい名前、室内交響曲作品110aというのを与えよう」とのエピソードをもつ『室内交響曲Chamber Symphony作品110a』と、同じく「弦楽四重奏曲第10番」をバルシャイ管弦楽用に編曲した『弦楽のための交響曲Symphony for Strings作品118a』。
それにしても古典的ともいえるショスタコーヴィッチの音色造形は、昨日の社会主義者ルイジ・ノーノの美しくも苛烈なロマン溢れる響きとなんと違うことか。ここに何を思うべきなのだろう。このCDも図書館で借りてきたもの。
                     



                          写真↑:収容所のソルジェニーツィン(1953)

Maurice Jarre - ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago Maurice Jarre conducts in tribute of David Lean, 1992. (Sound track of DOCTOR ZHIVAGO writen and conducted by Maurice Jarre,1965)