高橋悠治『YUJI TAKAHASHI PLAYS BACH』(1971)。演奏家の過剰の美、ロマンティシズムを廃した作曲家のシンプルなバッハ。
Glenn Gould - Bach Partita No.6 (1 of 3)
普段から言っているように、聴き比べといった趣味は持ち合わせていない。そのような能力もない。あるのは出会いと好き嫌いだけである。だからこの高橋悠治のバッハ『YUJI TAKAHASHI PLAYS BACH』(1971)もそうした意図で手にしたものではない。現代音楽ピアノ演奏のスペシャリストのバッハということで、買ったのだろう。普通の演奏家?ようするに近代の名曲を中心としたレパートリーで演奏活動をしているピアニストのバッハでないといったことの興味でもあったのだろう。それに現代音楽の先鋭な作曲家でもある人物が演奏するバッハということもあった。先日も≪逆説としての「失敗者としてのバッハ」賛≫と題して彼の『バッハの世界』(1973)を取り上げた。その感想評は≪演奏はスナオで、良好。いいバッハです。≫であった。今日の『YUJI TAKAHASHI PLAYS BACH』もそうした印象は変わらない。超絶テクで過剰の美を衒うといった、ロマンティシズムへの傾斜を意図的に廃しているように私には思える。ピアノにしては地味ともいえる響きでバッハをまとめているようだ。シンプルと言えよう。ピアニストと言うより作曲家の弾くバッハと括りたい。だからこそ、このように弾きたいのだ、弾いたのだといった風情のバッハともいえるのかも。