yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

佐藤允彦『那由佗現成(なゆたげんじょう)』(1976)。「共振」する宇宙大の響きへと悠揚猛然とパワフルにフリージャズする土俗呪術の響きの奔流。

イメージ 1

イメージ 2アルバムタイトル『那由佗現成(なゆたげんじょう)』(1976)の文字を目にしただけで、何とはなしにその音楽のイメージが湧いてくることだろう。「那由佗」とは千億の数(無数)を意味する。「現成」とはあるがまま、あるべきように成れること。言うまでもなく仏典からの言葉だ。各パートにつけられた表題は「日輪」「塵界(=人間の官能を刺激して解脱の障碍となるもの)」「諦・タイ(=まこと、さとり)」「修」「兜率天(=欲界六天の第四天、欲界の浄土)」とある。以前、こうした土俗エネルギー、その力強さへの志向の傾斜のもとに試みられたビッグバンドジャズのアルバム「邪馬台賦」(1972)を≪「力強い素朴な、しかも迫力に富むユニゾンの音の束…」(佐藤允彦)猛然と且つインテリジェントにジャズって古代をさかのぼり、シャーマニスティックな土俗のエネルギーの奔流を歌い上げて見事『邪馬台賦』’72。≫として取り上げた。今回のアルバム『那由佗現成(なゆたげんじょう)』(1976)もその流を行くものだ。先の「邪馬台賦」でのシャーマン卑弥呼と同じく、古代シャーマンの最大にして図抜けたカリスマ性を持った宗教者、「弘法大師(こうぼうだいし)」空海をイメージして作られたとのこと。その気宇壮大な宇宙的ともいえる呪術的・土俗的エネルギーの奔流をこのパフォーマンスから聴くことだろう。

難行苦行して自然の力、宇宙の力と合体できるんじゃないかという、あこがれみたいなそういうような感じが隣り合わせにあって、それが中国から密教仕入れて来る前のシャーマニズム的な雑密(ぞうみつ)なんじゃないかと思うんですね。そういうふうに生きていると、自然の中にいろいろなものが見えてくるんじゃないでしょうか」(間宮芳生との対談中での佐藤允彦のことば)

空海は「声字実相義」にて<我々は不幸にして仏陀の入滅の後の時代に生きているために直接に仏陀の声に接することはできない。しかし、今でも我々は仏陀の声に極めて近い音を聞くことができる。その音とはこの世の万物がことごとく音をたててそれらが渾然一体となって調和したとき、その音は仏陀の声に最も近い音のはずである。何故ならばすべてのものはそれぞれに応じて仏陀の性格が与えられており、それらが一つに融合したとき、より完全な仏陀の性格に近く、音も仏陀の声に近い音となるのである。>と説いている。まさにこのことを謂っているのだろう。


        五 大 に み な 響 き あ り

        十 界 に 言 語 を 具 す

        六 塵 こ と ご と く 文 字 な り

        法 身 は こ れ 実 相 な り

                       空海『声字実相義』

        宇宙の音響響き渡り、
        山川草木に共振して、人の声となり、
        五体くだいて言葉となり、またふたたび時空にかえってゆく。


「一陣の風にはすべてが含まれていて、その風を呑むわれわれは宇宙の風の呼吸を呼吸しているのだ」


「共振」する宇宙大の響きへと悠揚猛然とフリージャズするといった趣だろうか。「諦・タイ(=まこと、さとり)」のパートでのコレクティヴ・インプロヴィゼーションはその感強くするほどに見事だ。ユニゾンでの土俗的古代心性の剔出表象も雅楽や鈴などパーカッションの響きなど巧みに織り交ぜスリリングで強烈だ。まことによく古代叙事詩たりえているとも言えようか。



     「虚空尽キ、衆生尽キ、涅槃尽キナバ、我ガ願モ尽キナン(空海)」

     「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」(空海)。


兜率天にあって自分は微雲のあいだから地上をのぞき、そなたたちのあり方をよく観察している。さらには、五十六億七千万年ののち、自分はかならず弥勒菩薩とともに下生(げしょう)し、わが跡を訪うであろう。そのときよく勤めている者は祐(すく)いをうけるであろう。不信のものは不幸になるはずである」(空海「御遺告」)なんとなんと。


「それにしても、生命体とは、何という欲望の形式だろう。自然界はどんな気まぐれからこんなものを地上に作り出したのだろう。自然界それ自体が、欲望の形式であるという風に考える以外に、どうして生命体の誕生を必然とかんがえることが出来るのだろう。宇宙空間は、われわれの目のとどくかぎり無機的空間なのだけれど、その巨大なあつまりである全宇宙「那由佗」は、若しかして、巨大な有機物、欲望をもった生命体であるのではあるまいか。」(アルバム監修者・間宮芳生あとがきより)