yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

シュトックハウゼン『MANTRA』(1970)。どこに真言?その要諦「無心」をつかみ損ねたのではあるまいか。

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Stockhausen: Mantra (Part I)

            

       東洋の心は無心になる事。どこまでいっても無限で天地の分かれがない。
       西洋は二次元の世界。底には対立があり、一方は他を力で支配しようとする。
                                鈴木大拙


イメージ 2もう音楽は絶対抽象の真理・マントラというより、相対化された一事物でしかないかのように卑近に響く。抽象普遍の絶対世界からの転落。騒音雑音の一つとして音楽は現実界を漂う。宗教的深遠のMANTRAというより、汚穢、汚濁にまみれた現世、さあ、これがマントラだと突きつけらているような落ち着かない気分にさせる。いったい何がマントラなのか?真言など一向に聴こえてくる気配はない。別にタイトルなど何の意味もないのかもしれないが。それにしても了解不能シュトックハウゼンであり、ピアノ2台とテープと電子変調でパフォーマンスされた、およそ一時間を越える作品『MANTRA』(1970)だった。70年の日本万国博への来日時の仏教(日本)体験が元になっているとのことだけれど、雲をつかむような受容の姿を聴く思いだった。この時期「INORI」というこれまた難物があったのを思い出した。当然未だブログに登場していないものだが。いつものことながら、現代音楽につき物の分からないままの鑑賞に終始した。これではあまりにつまらないので、「この彫刻は子供たちのお尻で磨かれて完成する」と語ったという「ブラック・スライド・マントラ」というイサム・ノグチの作イメージ 3品を貼り付けて味気なさを癒したく思う。無心に遊ぶ子供。その遊ぶ子どものお尻で磨かれて作品は完成する。ひょっとして、シュトックハウゼンは、この「無心」をつかみ損ねたのではあるまいか。やたら晦渋な音楽(論)になるばかりのようだ。