yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

J・S・バッハ『チェロソナタ BWV1027-1029』(1985)。ミッシャ・マイスキーとマルタ・アルゲリッチ。歌ごころあるパートナーとゆったりと音楽に寄り添うアルゲリッチは魅力的だ。

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André Navarra - Bach Sonata No.3 BWV 1029 -III- Allegro

        

イメージ 2ふだん日曜日は、仕事場でもある生家に置いてあるレコードや本のたぐいを選んで袋につめて持って帰ってきたもののなかから興に任せて、行き当たりばったりに手に取って鑑賞(大ゴミで拾ってきた、決して褒められたものではないオーディオ装置であるが)してのブログ投稿なのだけれど、その肝心の紙袋を持って帰ってくるのを忘れ、まったくトホホの日曜日である。別に投稿を休んでもどうってことないのだけれど、もうこれだけ続けていると空白となる休みに罪障感とは少々大げさだけれど何か気分落ち着かない。ということで、近くの町の図書館へ散歩がてら絶好の秋日和のなか出向き、CDを借りてきた。食指をさそうような近現代ものなど殆んどないのだけれど、バッハならいいかとチェロソナタ集を借りてきた。かの有名な無伴奏チェロソナタではなく、そんなのあったのか?と思いつつもミッシャ・マイスキーMicha Maisky(Vc)とマルタ・アルゲリッチMartha Argerich (P)のデュオということで借りて帰ることにした。イメージ 3『J・S・バッハ、チェロソナタ BWV1027-1029』(1985)。私が知らなかっただけなのだろうけれど、本来は、ヴィオラ・ダ・ガンバViola da Gambaのための作品だそうで、演奏会場の大型化がそれなりの響きを要求する近代以降、ピアノとチェロの組み合わせで演奏されるようになったとのこと。こうした古楽器演奏の歴史云々のことどもはあまり興味のない程度の一クラシックファンでしかない私なので、こうした話しには踏み込まないことにしよう。たんに、艶やかでメリハリのある良い音でありさえすれば満足で、当時はこのような音で聴かれていただろうとかいったことでの古楽器鑑賞も無意味などとは毛頭思わないけれど、聴くほうの現代人の感性も歴史の変遷、積み重ねを経てきての事だといった問題を棚上げした古楽器演奏の試みにはマユツバ程度で聴いてはいるけれど、どんなものだろう。人間の五感の歴史性もそうだけれど、聴覚がそれ自体単独で自存しているわけではなく、他の感覚との連合で成り立っているものとすれば、そうは簡単にはいかない。話は複雑になってくる。まあ、割り切って現代楽器のチェロとピアノの演奏で、これが現代に聴くバッハとして、それでいいのではと思ったりする。<本当?>のバッハ?。それにしても、チェロが人間のなまみの(音)声域に近いと言うこともあってか、一方のヴァイオリン・ソナタより精神上落ち着いた気分にさせる。シットリとココロ穏やか、至福を味わうバッハであり作品演奏といえようか。最近はソロよりもデュエット、アンサンブルを志向すると聞くアルゲリッチ。歌ごころあるパートナーとゆったりと音楽に寄り添うアルゲリッチは魅力的だ。

収録曲
J.S.Bach :
Cello Sonata No.1 BWV 1027
Cello Sonata No.2 BWV 1028
Cello Sonata No.3 BWV 1029



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