反復音楽、いわゆるミニマルミュージックと言えば
スティーヴ・ライヒSteve Reich(1936 - )それに先日取り上げた
テリー・ライリーTerry Riley(1935 -)、そして今日の
フィリップ・グラスPhilip Glass(1937-)の三人がまず思い出される。もちろん各々が違った個性で作品を発表しているのは言うまでもないことだけれど。今日はこの
フィリップ・グラス(この作曲家は既に≪
豊穣多様なフィリップ・グラスの楽しめるミニマルミュージック≫としてアルバム一枚を取り上げている。)ということで、念のためYOU
TUBEを覗いて動画検索をして遊んだ。
スティーヴ・ライヒと
フィリップ・グラスの近来のめざましい活躍ぶり(
アテネオリンピックでのセレモニー音楽は
フィリップ・グラスと聞いたけれど)はFM放送などで取り上げられている折などに耳にしたりして知ってはいたけれど、あらためてその結実豊穣の見事さに認識を新たにした。とはいえ、
フィリップ・グラスの近年の評価は≪オーケストラなどの既存のメディアとの関りが増えた現在の作風にはほとんどの専門家は否定的だが、初期の
ライヒすら凌ぐ禁欲的な作風への評価は全く揺るいでいない。映画音楽ではどんな物にも合うというので引きの枚挙にいとまがない。≫のだそうだ。(
WIKIPEDIA)今や大御所と言ったところなのだろうか。イギリスのミニマルミュージックのこれまた今や大御所の
マイケル・ナイマンMichael Nyman(1944 -)(随分と前に
ヴァルネラブルな静謐の心によりそうマイケル・ナイマンのミニマルミュージック として投稿した)も映画「
ピアノレッスン」の大ヒットで一躍知られるところとなった。一つの時代的な音楽潮流としてのミニマルミュージックのブレークであり、見事な達成といえるのだろう。手法の開発徹底で世界が開けてくることの見本のようだ。映画音楽やテレビCMで、それと知らずにメ
ロディアスでその流麗な美しさで彩られた、心地よい音楽をお聴きになっておられることだろう。さて今日のアルバムは『ソロミュージックSOLO MUSIC』(1975)とタイトルされているように作曲者の
フィリップ・グラスの見事なキーボードの腕前が発揮され、そのパターン反復が作り出すモワレ、ズレがもたらす意想外の美しさの音連れを堪能することが出来る趣向になっている。SIDE1の「CONTRARY MOTION」はエレクトリックオルガンのソロ、おそろしいまでの緊張を強いるパターン反復の音楽が延々16分弱続きズレがもたらす響きの流動生成の新鮮さに恍惚とさせる。そしてSIDE2では今度は
アコースティックピアノとのデュオで、反復パターンの重なりズレのもたらす音楽効果の斬新の
カタルシスを味わうという趣向だ。機械のように同一パターンを延々と弾きつづけるのはひじょうなテンションを強いるらしいことは、この音楽を聞いていると肯けるものがある。パターン反復の音楽ゆえ単純と言えば単純で退屈ともいえようが、それゆえに何回も聴きなおして愉しむといった音楽ではないかもしれないけれど、その単純が作り出すズレのもたらす、いや、小さな差異といってもいい、それが提示する音楽世界の意想外の音連れの面白さ、新鮮豊穣は魅力であることだろう。先日もブログに語録のように投稿記事のタイトル引用したけれど、今日も懲りもせず、それを引用してこの稿終えよう。
これらはブログ稿のタイトルであった。
【・・・最後に大岡昇平のことばを引用する。《人間の存在の根源的なひとつの要素として、子供が繰り返しを喜ぶということがある。同じことをしているんです。それは一種の遊びでもあるけれど、われわれの身体条件の中にあるわけですよ。ところが、生活の条件が繰り返しにあるとはゲーテがすでに言っている。まったくゲーテというやつは、たいていのことは言ってしまっているようですね。》飽きるほどの繰り返しにも意義はある】