yuki-midorinomoriの日記

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ヨハネス・ブラームス『交響曲第1番』。何を今更の当たり前だけれど傑作を再び聴く。

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Brahms - Symphony No. 1 Hirofumi Inoue (Japan) conducts the St. Petersburg State Symphony Orchestra in Brahms' Symphony No. 1

         

イメージ 2もうこれだから<名盤>というやつは困るんだ、と先ずのっけからこのことばが口をついて出てきた。つねづね<名盤>とやらは避けたほうがよろしいとはこのブログでも言ってきたことだけれど、あらためてそう思った。やはり先決は音質だ。ヨハネス・ブラームスの精魂込めて作曲された傑作『交響曲第1番』。この曲に関してはすでに≪ヨハネス・ブラームス『交響曲第1番』。ジェームズ・レヴァイン指揮のボストン交響楽団によるライヴパフォーマンスをNHK・FMで聴く。≫とタイトルして投稿している。その時はわが町の図書館で借りてきたシャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891 - 1968)指揮のCDを取り上げてのものだった。同じ演奏のもので再投稿というのもなんだかなということで、今日はフルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)が揮るベルリン・フィルの『交響曲第1番』(テープ時代<1952>のものとのコメントがあった)のみが所蔵棚にあったので借りてきた。またまた再投稿するきっかけになったのは、前回同様、帰途の自動車車中でのNHK・FMから流れていたこのブラームスの『交響曲第1番』にやはり感じ入ったからだった。それは、マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons, ラトビア、1943 - )指揮、バイエルン放送交響楽団による<2007/11/19>東京・サントリーホールで収録されたものとのこと。途中から聴いたのだけれど、多層的かつ構成的、流麗洗練な音色展開(変奏のブラームスと称されているらしい)と、私はそうブラームスの特徴を基本的に了解しているので、それを満足させるに足る演奏であらためてその曲のすごさに感じ入ったのだった。当たり前だけれどベートーヴェンじゃない!ということで・・・。WIKIを覗いたところ、このマリス・ヤンソンスカラヤンの薫陶をうけていたとあった。これにもなるほどの納得だった。厚みを持った、しなる弦の響きはカラヤンの特徴だけれど(私はそう思っているのだけれど)、その影響が下地にあるのか、ヤンソンスブラームスは洗練の度をいっそう加えたベートーヴェンとして良く響いていたのだった。しかし、この稿の冒頭で云っているように、史的な比較研究とかならいざ知らず、単なる鑑賞のためには<名盤>は聴くべきではなかった。フルトヴェングラーの演奏云々ではなくて、そこそこの音質の直近の演奏を聴くべきだ、との日ごろの思いを再確認した。それにしても、おおブラームス!・・・。ところで昨日同じく車中で耳にしたNHK・FMでの<モルゴーア・クァルテット 第27回定期演奏会>の、これも途中から聴いたのだけれど、なんだかんだ言ってもベートーヴェン!だ、何を聞いても損しないと思って聴き、印象したのが「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品59の1 “ラズモフスキー 第1番”」。ベートーヴェンってこんなに洗練されていたのって感じさせた演奏だった。これは町の図書館になかったので、聴く機会を持ったときあらためて投稿しようと思う。最後にこの<名盤>とやらのCD解説の文章を引用して擱えよう。
フルトヴェングラーのレコードは、現代の音楽生活にとっての巨大な遺産であるが、その中でも”絶品“と言ってよいものの一枚として、このブラームスの第一交響曲のベルリン版が加わったことを喜びたい。もともと私は、録音状態でレコードの価値をうんぬんするほうではないが、これがステレオではないということなど論外になるほど、レコードで聞けるブラームスの第一交響曲のトップにランクされてしかるべきものと確信する。≫(福永陽一郎)
こうしたことばに地団駄し泣いたクラシックファンは多いのでは・・・。
先ずは、同時代の秀抜をこそいい音で聴こう。これこそがクラシックになれ親しむ要諦と思われますが・・・。