yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第7番ラズモフスキー第1』。伸びやかで明るく、かつ美しく親しみのある旋律、それらを豊麗な弦楽の響きで奏でる前途洋々!?余裕のベートヴェンがいる。

イメージ 1

Tokyo String Quartet playing "Razumovsky":Beethoven's string quartet op.59 n.3. "Razumovsky" (記事の第1番ではありません)

        

イメージ 2先日、≪ヨハネス・ブラームス『交響曲第1番』。何を今更の当たり前だけれど傑作を再び聴く。≫とタイトルして投稿した際、そのなかで≪ところで昨日同じく車中で耳にしたNHK・FMでの<モルゴーア・クァルテット 第27回定期演奏会>の、これも途中から聴いたのだけれど、なんだかんだ言ってもベートーヴェン!だ、何を聞いても損しないと思って聴き、印象したのが「弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品59の1 “ラズモフスキー 第1番”」。ベートーヴェンってこんなに洗練されていたのって感じさせた演奏だった。これは町の図書館になかったので、聴く機会を持ったときあらためて投稿しようと思う。≫と述べた。しかしなんと図書館にあったではないか。それも何回も(ダビングは面倒くさいのでしていない。そのつど借りている)今まで借りてきた東京クァルテットのCD3枚組み「中期弦楽四重奏曲全集」に収録されているではないか。たぶん≪ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132』』第3楽章「病い癒えたる者の神への感謝の歌」の感動を動画と共に。≫を投稿した折、一緒に借りてきて鑑賞したはずなのだ。なんといい加減な聴き方をしていたのだろう。実に情けないことではある。関心(指向性)というポイントがハズレているとまったく耳にも入らず印象にも残らないようだ。聞き流していたということのだろう。その同じ曲を自動車の中で聴いたときに、印象に残すのだから、やはり出会い、コンディションというのが大切なようだ。その時は良さを受け入れる素直な感性と心が開いていたのだろうか。そうとでも解釈しなければ説明がつかない。そんなことはともかく、中期ベートーヴェン弦楽四重奏曲の傑作らしいこの“ラズモフスキー”の3作品、第7番作品59の1「ラズモフスキー 第1番」、第8番作品59の2「ラズモフスキー 第2番」、第9番作品59の3「ラズモフスキー 第3番」をさっそく聴いてみた。やはり素直に感じ入って、もう一度とその気にさせた「ラズモフスキー 第1番」が一番よかった。ここには伸びやかで明るさを感じさせるベートーヴェンがおり、美しく親しみのある旋律、それらを弦楽の豊麗な響きで奏でる、前途洋々!?余裕のベートヴェンがいる。(なんでも、この中期ベートーヴェン時代を傑作の森(ロマン・ロラン)と称するらしい。すでに耳の疾患はベートーヴェンを襲っていたのだが・・・)