yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ヨハン・セバスチャン・バッハ『フランス組曲・第一集』。3月21日が誕生日ということでお手軽に・・・。

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JS Bach The French Suites n°2 in C minor Bwv 813 Glenn Gould

                

       あまねく世界に神は存在し
       あまねく音楽にバッハは存在する
              アルフレート・シュニトケ

イメージ 2今日、仕事帰りの車の中で流れていたNHK・FMで、かの今更云うのもなんだか教科書じみて気恥ずかしいけれど≪「近代音楽の父」と称される≫(WIKI)ヨハン・セバスチャン・バッハJohann Sebastian Bach, 1685年3月21日(ユリウス暦) - 1750年7月28日)の誕生日が昨日3月21日であったことが、音楽番組のアナウンサーから紹介されていた。普段からそういったことにはあまり関心の無い方なのだけれど、ブログ記事に何を取り上げようかなと思案のなかであったこともあって、これ幸いとばかりにお手軽のバッハ記事となった次第。音楽の素養があるわけではないので、今までただ漫然と聴いてきて、いいですねといった以上のことばが紡ぎだせるわけではないのだけれど。ようするにバッハならなんでもいいといった、鑑賞するだけでよしとする万年シロウトの音楽ファンの選択ということ以上ではない。もう十数年以上、バッハの鍵盤音楽の殆んどをカセット!テープにダビングして折にふれ車中リスニングで聞き流している。精神衛生上最高によろしい。いつも穏やかだ。ということでバッハ以上の作曲家はいない。ま、ときたまドビュッシーが割って入ることがあるけれど。とりあげた作品『フランス組曲・第一集』の印象をひとことも記すことなく、今日はバッハの誕生日にかこつけてのお手軽な投稿記事で擱くことにします。そうでした、演奏者のグレン・グールド夏目漱石の「草枕」が愛読書だったそうです。

【山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊(たっ)とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である画(え)である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬともの音(おん)は胸裏に起こる。丹青は画架に向って塗抹(とまつ)せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の俗界を清くうららかに収め得(う)れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺(せっけん)なきも、かく人世(じんせい)を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入(しゅつにゅう)し得るの点において、またこの不同不二の乾坤(けんこん)を建立(こんりゅう)し得るの点において、我利私欲の羈絆(きはん)を掃蕩(そうとう)するの点において、――千金(せんきん)の子よりも、満乗(ばんじょう)の君よりも、あらゆる俗界の寵児(ちょうじ)よりも幸福である。】(夏目漱石草枕」より)

セイゴオ―― <グールドが漱石の『草枕』にぞっこんだった・・・あのね、こういうアンケートがあるんです。「練習法は?」「つねにバッハを弾くだけ」。「どうやって暗譜するのか」「扇風機や電気掃除機などのノイズの中で」。そして「嫌いなものは何ですか」という質問には、「大衆、競争すること、芸術家の自慢、世代的ギャップ」というんだね。・・・>(松岡正剛千夜千冊虎の巻』より。ゴシック強調は引用者)