yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ジャン・シベリウス『ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47』を諏訪内晶子で聴く。北欧という歴史と自然が育む、その澄明で深奥繊細な感性。いささかも(原基としての民族性)精神性の欠けるところの無いスケール感。

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A.Suwanai / Sibelius Violin Concerto ( 1st mov.-1/2 )

            

イメージ 2≪いかにもシベリウスらしい独創性に富んだ楽章で、そのスケール感は古今のヴァイオリン協奏曲の中でも屈指の名楽章である。≫(WIKI)とあるように、ヴァイオリン協奏曲のなかでも際立って美しく印象深い旋律とオーケストレーションで魅きつける名曲中の名曲『ニ短調 作品47』(シベリウス唯一のヴァイオリン協奏曲)。何もドシロウトの私が言うまでもないことだけれど。(メンデルスゾーンのコンチェルトと、チャイコフスキーのそれもまた、印象深い冒頭部分をもつ名作と印象していたが。)なんでもシベリウスはヴァイオリニストを目指していたというだけあって、よくヴァイオリンが鳴り歌い、泣かせ、胸を震わせるのだ。ところで今日、このフィンランドの大作曲家ジャン・シベリウス Jean Sibelius, 1865 - 1957)(随分の長命で、戦後もながらく在世していたのだ。ちなみにリヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)も彼同様に長命だったのを思い出した。生年はほぼ同じの一年違いだ。)を取り上げようと思ったのは、先日投稿した現代音楽の女性作曲家カイヤ・サーリアホフィンランドを出自とするという機縁からだった。こうした優れた現代音楽作曲家を生み出すフィンランドの先達ということでの顕彰的登場ともいえるだろうか。北欧という歴史と自然が育む、その澄明で深奥繊細な感性。ただ、時代のなせるところか作曲家の独創の才なのか、オーケストレーションでの、いささかも(原基としての民族性)精神性の欠けるところの無いスケール感はシベリウスならではのものなのだろうか。いまだ<もの=物=霊>語ることが出来た(ロマンな)時代だったという歴史的時代背景(国民国家フィンランドの形成の歴史)があるにせよだけれど。最近は精衰えているのか大掛かりな曲を鑑賞することなど殆んど無い私なのだけれど、やはり聴いたら聴いたで良いものはいい。当たり前だけれど。落ち着いた美しさを堪能したといっておこう。わが町の図書館で借り受けたもの。演奏は≪1990年、チャイコフスキー国際コンクールで第1位を受賞した(同コンクール史上最年少、日本人初、満場一致による)。≫(WIKI)「世界的な天才美少女バイオリニスト」で華々しくデビューした、その諏訪内晶子。ドがつくシロウトの私が言うのもなんですが、完璧な?技巧と成熟した情感溢れる素晴らしい演奏で魅了する2002年録音のもの。





参考――
世界三大一覧