山下洋輔と三宅榛名(現代音楽作曲家・ピアニスト)のデュオ『エクスチェンジEXCHANGE』(1979)。乗りにのり爆走している格闘ピアニスト山下洋輔とひるまず向こう意気魅せる三宅榛名。
Yosuke Yamashita Trio 1972 from "ecstacy of the angels" by koji wakamatsu, 1972 yosuke yamashita: piano seiichi nakamura: alto saxophone takeo moriyama: drums
山下洋輔と現代音楽作曲家でありピアニストでもある三宅榛名(みやけ・はるな、1942-)のピアノデュオ。1979年のライブ録音。
この共演は、三宅榛名の東京は渋谷のとある場所で定期的におこなっていた「現代音楽は私」への出演依頼ということで実現したそうだ。この積極的な姿勢がたのもしい。まさにこの頼もしさが存分に現れているインタープレイとなっている。
とりわけ、B面の「ベートーヴェン氏第9シンフォニー」は一番熱が入っていて面白かった。山下洋輔もここでは乗りにのり爆走している。というより双方秀逸の出来。
たぶん、愛すべき作曲家の名曲を挟んでの丁々発止としたインプロヴィゼーションということが起因なのだろう。ここでの三宅榛名は女性であることを忘れさすほどのパワーで四つ相撲を取っている風情でもある。
すでに投稿済みの佐藤允彦と山下洋輔のすばらしいデュオアルバムも類まれな才能同士の発止としたインタープレイで魅了したけれど、こちらは双方がジャズ畑だった。
しかし三宅榛名との『エクスチェンジEXCHANGE』(1979)でのそれは、どちらかといえば、クラシック畑(現代音楽を活動領野とするのだけれど)との、おまけに女性とのデュオということでの興趣を抱かせるものだったが、十分に楽しませてくれるパフォーマンスになっている。
ところでこの三宅榛名は一風変わった音楽上での試み(このアルバムでの山下洋輔とのデュオの機縁となった「現代音楽は私」などのミニ演奏会もそうなのだろう)を数多く手がけているようだけれど、私は、以前ブログで取上げた≪やはり日本的余情・余韻がひびく『小出信也による現代日本のフルート音楽』(1971)。≫で作品が収録されていたということもあって、作曲家および、現代音楽演奏を主にするピアニストのイメージだったのだ。
当時、今をときめく格闘ジャズピアニスト山下とタッグマッチをやってのけた向こう意気こそ讃えるべきなのだろう。
「ベートーヴェン氏第9シンフォニー」を聴けば肯けることだろう。これと、次の「シェーンベルク・シェーンベルク」も熱が入ってオモシロイことから察するに、ジャズではなく、どちらかといえば三宅榛名の土俵(クラシック)上でのタッグゆえの自在さにその因があるのかもしれない。たぶん山下洋輔もそこがいつもと違った刺激で、愉しんでいたのではと思える。
この共演は、三宅榛名の東京は渋谷のとある場所で定期的におこなっていた「現代音楽は私」への出演依頼ということで実現したそうだ。この積極的な姿勢がたのもしい。まさにこの頼もしさが存分に現れているインタープレイとなっている。
とりわけ、B面の「ベートーヴェン氏第9シンフォニー」は一番熱が入っていて面白かった。山下洋輔もここでは乗りにのり爆走している。というより双方秀逸の出来。
たぶん、愛すべき作曲家の名曲を挟んでの丁々発止としたインプロヴィゼーションということが起因なのだろう。ここでの三宅榛名は女性であることを忘れさすほどのパワーで四つ相撲を取っている風情でもある。
すでに投稿済みの佐藤允彦と山下洋輔のすばらしいデュオアルバムも類まれな才能同士の発止としたインタープレイで魅了したけれど、こちらは双方がジャズ畑だった。
しかし三宅榛名との『エクスチェンジEXCHANGE』(1979)でのそれは、どちらかといえば、クラシック畑(現代音楽を活動領野とするのだけれど)との、おまけに女性とのデュオということでの興趣を抱かせるものだったが、十分に楽しませてくれるパフォーマンスになっている。
ところでこの三宅榛名は一風変わった音楽上での試み(このアルバムでの山下洋輔とのデュオの機縁となった「現代音楽は私」などのミニ演奏会もそうなのだろう)を数多く手がけているようだけれど、私は、以前ブログで取上げた≪やはり日本的余情・余韻がひびく『小出信也による現代日本のフルート音楽』(1971)。≫で作品が収録されていたということもあって、作曲家および、現代音楽演奏を主にするピアニストのイメージだったのだ。
当時、今をときめく格闘ジャズピアニスト山下とタッグマッチをやってのけた向こう意気こそ讃えるべきなのだろう。
「ベートーヴェン氏第9シンフォニー」を聴けば肯けることだろう。これと、次の「シェーンベルク・シェーンベルク」も熱が入ってオモシロイことから察するに、ジャズではなく、どちらかといえば三宅榛名の土俵(クラシック)上でのタッグゆえの自在さにその因があるのかもしれない。たぶん山下洋輔もそこがいつもと違った刺激で、愉しんでいたのではと思える。