yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

マグヌス・リンドベルイ『作品集』(2001)。同国フィンランドの女性作曲家カイヤ・サーリアホに較べスケールはあれどスピリッツにおいて大いに不満、えらく保守的な作品だなとの印象だ。

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Clariperu: Kari Kriikku in rehearsal:Concierto de Magnus Lindberg

         

イメージ 2今日も中央図書館のネット利用で借り受けたものの紹介。先日投稿した女性作曲家カイヤ・サーリアホ(Kaija Saariaho, 1952 - )と出自を共にするフィンランドの作曲家のマグヌス・リンドベルイ(Magnus Lindberg,1958 –)の『作品集』(2001)がそれだ。こちらは男性の現代音楽作曲家。WIKI記事を読むと武満徹がいち早くその才能評価し認めた作曲家の一人だそうだ。その認知、評価対象となった若きリンドベルイの作品はこのCDにはない。残念ながら私は聴いたことが無い。しょうじきカイヤ・サーリアホがことのほか良かっただけに、期待してネット借り受して鑑賞したのだけれど、期待はずれだった。先ず結論としてこのことだけは言っておこう。WIKI記事内にもあるように、1980年代デビューしての矢継ぎ早に出された初期傑作作品群にくらべて≪・・・スペクトル楽派の流行が終わると、「クラリネット五重奏曲」以後は現代音楽からの影響ではなく古典音楽からのイディオムの引き写しが顕著となり、遂には「ネオ・シベリウス楽派」などとあだ名されるような流麗な書法に取って代わった。「クラリネット協奏曲」、「ピアノ協奏曲」、「オーケストラのための協奏曲」では確かに安定した書法で作曲されているものの、往年の冴えは完全に消え去ってしまい評価されたときとは別人のような音楽性になっている。≫(WIKI)とあった。まさにこの評言どおりの印象で、えらく保守的な作品だなとの印象だった。それと、音響体のつながりに精神の緊張感が持続せず散漫な印象を与えるのだった。この程度の作品なら我が国の作曲家のほうがいいとさえ思えるほどだ。なるほどオーケストレーションは「ネオ・シベリウス楽派」と称されてもいるらしい力技、力量、スケールを感じさせるけれど。いかんせんスピリッツにおいて大いに不満であった。同国フィンランドの女性作曲家カイヤ・サーリアホのほうが、その感性の豊かさ、センス、音楽性において遥かに優れていると確認、断言してこの稿擱くことにしよう。もっとも先の≪別人のような音楽性≫らしい“初期傑作作品群”を聴かずに、この一枚だけで判断するのもどうかとは思いつつもだけれど・・・。



1. Cantigas カンティガス(1997-1999)
2. Concerto for cello and orchestraチェロ協奏曲(1999)
3. Paradaパラーダ
4. Frescoフレスコ