yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

山本邦山・尺八の世界『緩急』(1974)。自然を抱き込み自然とともに竹筒を吹き抜ける風と息、ノイズを伴うゆらぎの音。虚空に響く深遠な精神性。

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筝曲 詩曲一番 松村禎三作曲  邦楽アンサンブル

           

イメージ 2「風を見た人っていないですよね。でも、森の中を風が通ると木々が揺れるでしょ。風の形がわかるんです。風の姿を見たような気がしましたね・・・『風たちぬ』という名作があるように、風はたつんですね。つまり生まれるんです。しかし、すぐにやんでしまいます。ところがしばらくするとまた息を吹き返して、吹き始めます」とは去年話題になり、未だにそちこちで愛唱されている「千の風にのって」を訳詞作曲した新井満のことば。

「フッと窓の外を見ると木の葉が揺れる。風が吹くから揺れるんだけれど、それがえらく不思議でもあり、怖くもあり、ありがたいってなことも言える瞬間がありますね。それを「不思議」と言ったときには、もう離れてしまっている感じがするんですよ。」これは、なにあろう、ことばを操る才長けたタレント、タモリのことば。

「★―例えば、暑いとき、「暑いな」と思う。風が吹いたりしている時、言葉にしないで、ふと何かに触れたと思えることがある。

▲―例えば「無を感じる」という形でね。」(松岡正剛共著『二十一世紀精神』工作舎・1975)

【人間は生を享けるとともに呼吸を開始し、その停止をもって生を閉じる。気息は生命の本質である。マクロコスモスの気息が象徴として自然の風であり、ミクロコスモスの気息が象徴として人間の息である。宇宙、自然も息をする生命体であり、息する人間もまた宇宙原理の大いなる気息に貫通する生命体である。実体としての本質をおかぬ仏教思想(=無我、空)が息を吹きつけ鳴らす法器・尺八に一音成仏としての悟りを開くとしたのはそうした根本思想ゆえでもあったのだろう。≪歴史から見ると、アラビアの葦笛ナイが、奈良時代に日本に渡ってきて尺八となったわけですが、<ナイ>を奏でるには、まず、人間の頭の中を楽器として、つまり口笛を吹いて、それをそのまま笛に送りこむ。尺八は人間の自然の息が基本ですから、奏法はまったく違います。アラビアから長い旅路のはてに日本に伝来した尺八は、日本人の生き方、感性を生に音にする、呼吸そのものの楽器として変貌したのでしょうね。≫(小泉文夫「呼吸する民族音楽」・遊1002)≪尺八は元来楽器としてではなく、普化宗禅宗の一派)の法器として日本に渡来し、読経の代わりにこれを用い、普化宗以外の者の吹奏を禁じた。ということは、みずから「一音成仏(いちおんじょうぶつ)」、「吹禅(すいぜん)」、「虚無一声(きょむいっせい)」といった言葉が示すがごとく、他人に演奏を聴かせる等の目的でなく、自己の内的なるものに強く働きかける音の世界であり、また、人間の怒り、苦しみ、悲しみ等を、すべて一管に託して、心のよりどころにした器である。こうした孤の世界といったものを強く求めた要因により、他の音楽には類のないひと息、ひと節の無拍(無拍子)の楽曲が数多く誕生した。これらの演奏について奏者に要求されるものは必然的に小手先のテクニックでない、気迫とか精神性が強く要求されることとなった。≫(酒井竹保)】

【≪五世紀に書かれた仏典「倶舎論」には、古いインドの宇宙観が著されている。宇宙の生成と生物の出現と繁栄、やがてその破滅とこの世の終り、破滅にいたるまでのさまざまな地獄,たとえば八寒地獄という寒さの地獄、餓えの地獄、人間を焼き尽くす炎の地獄の有様が刻明に書かれている。そして滅び去った後の、有機物も無機物もない絶対無の空間に、かすかな一陣の風が吹き、それとともに再び新しい宇宙がはじまり、生命が生まれるという壮大な記述に強い感動をうけた。亡び去った前世の万感の思いをこめて吹くこの一吹きの風・・・・・尺八の音はまさに風であり、そして息である。人の声も風でありまた息であり、それが叫びや歌にもなる・・・≫】(投稿記事影向する尺八吹き抜ける息、一陣の風。広瀬量平(1930)の『成・VIVARTA』(1974)より)

「一陣の風にはすべてが含まれていて、その風を呑むわれわれは宇宙の風の呼吸を呼吸しているのだ」

≪風は呼吸です。呼吸は風です。その風と呼吸によってわれわれの言葉というものが出入りする。それなら、言葉も風なのです。まさに言葉は風に舞う「言の葉」なのでした。≫
                  
                   松岡正剛花鳥風月の科学』(淡交社・1994)

杉浦康平松岡正剛)――そういう(本来的に音楽のあるべき自然との同質性に近づこうとする方法―引用者)ナチュラリティを志向している形式はないんですかねえ。楽器にはありますか。

武満徹――尺八ですね。東西を通じても尺八くらいのものでしょう。

                   武満徹「樹の鏡、草原の鏡」(新潮社)

自然を抱き込んで自然とともに竹筒を吹き抜けるノイズを伴うゆらぎの音の姿にかくまで深遠な精神性を深く感じさせる尺八といものの類を見ない世界。

と、ここまで自他ない混ぜのことばの引用ばかりの投稿記事だった。ということで、今日は、山本邦山、尺八の世界と副題された『緩急』(1974)。









 千の風になって 「日本の敗戦」ver.(Defeated Japan in 1945)