yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

フレデリック・ショパン『ピアノ協奏曲 第1番 作品11』マリア・ジョアン・ピレシュのつぶ立つ清澄な音色のピアノで聴く。

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Martha Argerich Chopin Piano Concerto1 3/4

         

イメージ 2図書館で間違って手にし、借り受けてきたCD『ショパンピアノ協奏曲 第1番 作品11』が今日取り上げる当のもの。別にショパンフレデリック・フランソワ Frédéric François Chopin, 1810- 1849)が嫌いということではないけれど。(美しすぎてなんだか・・・ということはあるけれど)ではなんで間違ったのか。そもそもが好きなピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュ(Maria João Pires、1944年 - )のピアノコンチェルトをYOUTUBEで印象深く視聴していたので、棚にあるのをそれと勘違いして借り受けたのだった。出だし一音鳴りだすや、これは違う!となった。当たり前だ。ショパンモーツアルトなのだから。何たるエエカゲン(大阪訛り)な勘違い。借りるべきはモーツアルトのピアノコンチェルトであり、ピレシュのそれだったのだけれど。粒だった清澄な音色のピアノで魅了するモーツアルトのコンチェルトが聴きたかったのだ。前にも言ったけれど、殆んどNHK・FM放送開局以来のリスナーで、それなりにクラシック音楽を聴き愛好してきたので名曲中の名曲などには随分と前から人並みに親しんできたけれど、長じて音盤を蒐集することになった(10年間ほどで、熱狂の憑きが落ち終わってしまったけれど)ジャンルは現代音楽とフリージャズに偏奇してしまったお陰で、今日のような超がつくぐらいの名曲さえ所蔵せぬ羽目になってしまったのだ。このような音楽史に残る名曲はラジオからショッチュウ流れることだし、それで充分だとの天邪鬼もあったのだけれど。作品選択は間違っていたけれど、奏者はそうではなかったということでもちろん鑑賞した。聴けば聴いたでよきひと時ををもたらしてくれるのは名曲の名曲たるところ。久しぶりにじっくりと聴き直しました。ピレシュの清冽はショパンを、より感傷詩人にさせる。美しい・・・。さてさて、美しさに酔い、涙するセンチメントは、やはりショパンが似合いショパンに尽きる。第2楽章の緩徐楽章の胸のふるえをいかにせん、とのいささかの気恥ずかしき呟きがでてくることだろう。≪ロマンティックな、静かな、やや憂鬱な、それでいて千という幸福な思い出を呼びさますような、一点を静かに見つめるような印象を与えようとしている。≫(ショパン自身のことば、CD解説より)。さて、ところで最後にこのアルバムにも収められている≪幻想曲(げんそうきょく)ヘ短調は1841年に作曲された。作品番号は49≫(WIKI)がおもしろい。誰しもが指摘する我が名歌曲『雪の降るまちを』(1952)の出だしの美しい旋律のソックリさんに出会う。似ている似ていない、パクリ、パクリでない、ではなく≪ショパン作曲「幻想曲ヘ短調作品49」の序奏のモチーフが使われている。≫(WIKI)とある。そのことに関しての一切のコメントは作曲者からは成されていないそうだ。



  Mozart Concerto Maria João Pires Boulez