yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アーチー・シェップ『LIVE AT THE DONAUESCHINGEN MUSIC FESTIVAL 1967』。≪ド演歌≫的なブルージーなお定まりのフレーズにカナワンナとの思いと、魅かれる背反。

イメージ 1

Archie Shepp  One for The Trane part 1 2/2

            

イメージ 2きょうは、いつも愉しく拝見させていただいているブログ氏に煽られての投稿。登場するはテナーサックスのアーチー・シェップArchie Shepp(1937-)。若いジャズファンにはどうなのだろう。ところで、アルバムは、たぶんこの時期のピークをなすだろう名盤?との評価をもつ『LIVE AT THE DONAUESCHINGEN MUSIC FESTIVAL 1967』。両面44分に亘るぶっ続けの熱いパフォーマンスのドキュメント。タイトルには「ONE FOR THE TRAIN」とあるように、≪コルトレーンが亡くなって3ヶ月後に演奏されたもの≫(解説・油井正一)ということであり、教えを請うたコルトレーンの追悼ということを示してもいるのだろう。≪セシル・テーラーによって世に紹介され、ジョン・コルトレーンの後押しで名を挙げた≫といわれるように、めぐまれた出会いをその経歴にもつ。もちろん認められ推挙されるに値する実力と人徳の持ち主であるのだろう。そもそもの最初の出会いが革新者セシル・テーラーであることからも、ジャズの方向性はここで言うまでもなく、革新性を押し立ててのそれだった。64年の十月(ジャズ)革命、すなわち≪1960年代、オーネット・コールマンジョン・コルトレーンによって提唱された“フリー・ジャズ”。1964年、当時はまだ批判的な意見も多かったフリー・ジャズへの理解を深めようと、ブロードウェイのセラー・カフェで4日間にわたってコンサートやパネル・ディスカッションが行われた。企画・主催はビル・ディクソン。このイベントはジャズの10月革命と呼ばれ、会場は大勢のジャズ・ミュージシャンたちと観客で溢れ、フリー・ジャズが急速に広まるきっかけとなった≫(60年代フリー・ジャズのパイオニアたち。より)<ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ>への深い関与と実践。その記録が「ARCHIE SHEPP AND THE NEW YORK CONTEMPORARY5」(savoy)として残されている。初々しくも情熱に溢れた好パフォーマンスとなって記録に残されている。とはいえ、このアーチー・シェップの根っこはとことん泥臭いブルースだ。それが良くも悪くも特徴と言えるのではと思える。だからと言うべきなのだろうか、ここをめぐって論ぜられ、好き嫌い、評価がなされるようだ。いつも感嘆措くあたわずで愉しく読ませていただいているネットページ氏が、いみじくも言っておられる、≪アメリカの生んだ偉大なるド演歌ミュージシャンです(こればっか)。聴いていて思わず身をよじりたくなるようなフレーズとテナーの音はまさに唯我独尊。その暑苦しさと粘り気は他の追随を許しません。演奏技術があまり高くないという批判を漏れ聞くこともありますが、私は大好きです。好きというよりも音の節操のなさと相俟ってその豊かな歌心がこちらの痛いところを突いてきてどうにも抵抗できないというのが実状です。≫といった、このようなアンビバレントな印象はなるほどと思える。カナワンナとの思いと≪ド演歌≫的なブルージーなお定まりのフレーズに魅かれるのを何としたらいいのだろう。そのようなふしぎな魅力を持っているのが今日紹介するアーチー・シェップというジャズ・ミュージシャンなのだろう。通俗に堕す一歩手前で踏ん張っている微妙なニュージャズ・ミュージシャンと括っておこうか。会場は割れんばかりのやんやの喝采拍手である・・・。それにしても、いまあらためて思う。おもねることなく、俗に堕することなくアヴァンギャルドでありつづけるセシル・テーラーはすごい!と



ジョゼッピ・ローガン『MORE GIUSEPPI LOGAN』(1965)。「ジャズの10月革命」の象徴的ドキュメント。革新の意気、そのスピリット溢れる歴史的名盤。