yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

モートン・フェルドマン『ピアノ作品集・AKI PLAYS FELDMAN』(1995)。漆黒の沈黙の世界を開け示す静謐の一音。静かにやってくるものにこそ真性があるのかもしれない。

イメージ 1

Morton Feldman - Palais de Mari (1986) {Part 1_3}

            

イメージ 2沈黙それ自体ではなく、漆黒の沈黙の世界を開け示す静謐の一音。その静謐の音を偏愛するモートン・フェルドマン(Morton Feldman、1926 - 1987)のピアノ初期 (1949)から後期作品(1986)までの主な作品を現代音楽のスペシャリスト高橋アキが演奏したCD。この≪フェルドマン自身は、静かな音は彼が興味を引く唯一のものであると述べた。≫(WIKI)。その静謐の音への偏奇はあたかも古代シャーマンのごとくでもある。静寂に包まれた漆黒の闇に耳そばだて、神韻の響き聴くがごとくであり、己を無と為す存在の放下(ほうげ)である。≪非常に緻イメージ 4
密なリズム操作と美しい音色を特定のパターンで反復する様式を徹底する≫(WIKI)といわれる、ごく僅かのシンプルなピアノの響きの繰り返しに、私達は静謐と退屈以上の何ものかの音連れをそこに聴き、こころ洗われることだろう。(是非とも、本CDに納められている「Palais de Mari」(1986)が、公的機関のサイトにてオープンにされて、MP3で鑑賞できるのでご利用していただきたい。)こうしたフェルドマンの音楽を聴いていると思い浮かべるのが、あのやせ細った彫像で現代の人間実存を示現したアルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901 - 1966)であり、その作家が、作品、彫像は空虚の上に在ると言った、コトバだった。


<※>(さい)
イメージ 3【音(オン・イン おと・ね)会意。言と一とを組み合わせた形。もとの字形は言の字を基本とする。言は、神に誓い祈る祝詞(のりと)をいれた器である<※>(さい)の上に、もし偽り欺くことがあれば入れ墨用の針(辛)を立てている形で、神に誓って祈ることばをいう。この祈りに神が反応するときは、夜中の静かなときに<※>(さい)の中にかすかな音を立てる。その音のひびきは、<※>(さい)の中に横線の一をかいて示され、音の字となる。それで音は「おと」の意味となる。音とは神の「音ない(音を立てること。訪れ)」であり、音によって示される神意、神のお告げである。神棚の両開きの扉(門)の前の<※>(さい)の中から、夜ふけに神の訪れの音がすることを闇<あん>(やみ、くらい)といい、また暗いともいう。その音はたどたどしくて聞きにくいものであるから、ことばの不明瞭なことを瘖<いん>(ことばの障害)という。「おと」のほかに、楽器の音や人の消息などの意味に用い、「ね、ねいろ」の意味に用いる。】(白川静「常用字解」より)


さて、最後に備忘録と言う意味合いでのことでしかないのだけれど、このフェルドマンは≪世界で最初に発案したと見られる図形楽譜を用いた実験を行った。≫(WIKI)作曲家であり、その≪記号を演奏者自らが解釈して、結果が読めない音楽を導く流行は、後に偶然性の音楽、不確定性の音楽を生み出す大きなきっかけになった。≫(同上)と評されている。その現代音楽史上の革命的なコンセプトであり、実践であった≪偶然性の音楽不確定性の音楽≫の提唱・実践者ジョン・ケージとの出会いがウェーベルン作品のコンサート会場だったそうだ。昨日のソフィア・グバイドゥーリナもバッハとウェーベルンを後景に持つ。そう、ウェーベルンの峻厳寡黙、静謐と内なる激情にこそ、こうした一音一音は光り輝き、あたらしい世界を開けひろげ示すのだった。今日の取り上げたCD
『AKI PLAYS FELDMAN』(1995)にも、そのウェーベルン的世界を後景に聴くことだろう。


今日、音楽が何であるのか?芸術が何であるのか?を知ることは、実にむつかしい。わたしは、今日では、物事が何であるかは知らずにおいて、物事が真になんであるかを経験をとおして見出していくほうが、より稔が多いと思う。」(ジョン・ケージ

公衆が芸術において愛するのは、何よりもまず俗なもの、とうに彼らが知っているもの、慣れているものである。(アントン・チェーホフ

『aki plays Feldman』(1995)
1.Illusions (1949-50)
2.Two Intermissions (1951)
3.Extensions 3 (1953)
4.Piano Piece 1955 (1955)
5.Piano Piece (to Philip Guston) (1963)
6.Piano (1977)
7.Palais de Mari (1986)



3つの作品が全部聴けます。――
Art of the States: Morton Feldman three works by the composer

For Stefan Wolpe (1986)
choral, chamber/large

Palais de Mari (1986)
solo keyboard

The Viola in My Life IV (1971)
solo instrument/voice + orchestra


モートン・フェルドマン関連投稿記事――










Morton Feldman ~ Two Intermissions ~ I