yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ドミトリー・ショスタコーヴィチ「交響曲第1番」・「交響曲第7番」。冷戦終結、革命幻想、社会主義体制ソ連崩壊ののちの再評価、人気到来のその内実や如何。この臆面のない<明瞭さ><わかりやすさ>は?

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Shostakovich 7th Symphony

        

イメージ 2身銭きって手にしたのものではなく図書館で借り受けてのCDにあれやこれやいうのは、いささか後ろめたい気がするのだけれど・・・。
きょうはドミトリー・ショスタコーヴィチドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチDmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)の
交響曲第1番」(じつに作曲家19才の作)と「交響曲第7番」をカップリングしたCD2枚組みを取り上げる。
長い冷戦対立ののち、社会主義体制のソビエト連邦崩壊(≪1917年以来74年間続いたソ連共産党によるソ連社会主義体制が崩壊≫(WIKI))以降、急速にもてはやされ聴かれるようになったショスターコヴィチといった印象なのだ。私にはだけれど・・・。
若き日にイデオロギーの時代を共に生きてきた団塊世代の私などにとっては、このショスタコーヴィチの今になってのもてはやせぶりは、どうもよくわからない。
片一方で、よく言われる社会主義国家建設のための国威発揚プロパガンダのための≪体制に迎合した≫≫(WIKI)御用音楽家といったイメージを未だに拭い去ることができないのだ。
しかし嫌いな作曲家ではない。このことは先ず云っておかなくてはならないだろう。NHK・FMが放送開始しての間もない頃、たぶん中学生の頃と記憶するけれど、そこで放送された傑作「交響曲第5番」にはいたく感激したものだった。ショスタコーヴィチの名が音楽史上の偉人たちと同列に私の頭に刻まれたのだった。
緊張湛えた沈鬱悲壮ななか、まさに沸き起こる意気軒昂、鼓舞するがごとく曲風明快に突き進むのだった。そう、この<明瞭さ>なのだ。恥らうことのないこの<わかりやすさ>が、今何故かショスタコーヴィチ、と言う時代の是認と人気の背景なのだろう。
社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め、教育する目的を持った芸術。≫(WIKI)大衆啓蒙の社会主義レアリズムがひところ芸術観の一角として信ぜら謳われてきた。
そのイデオロギッシュな覆いが体制崩壊後取っ払らわれるや、この、是認再評価の到来だ。その音楽本来の持つ革新の価値が露出しての再評価というより、この(革命)政治時代を背景にした≪大衆啓蒙の社会主義レアリズム≫に依ってきたる<明瞭さ><わかりやすさ>が音楽の時代史的流れ、つまりはミニマルミュージックなどに顕著に見られる現代音楽の保守的とさえいえる旋律回帰の動きに合致、後押しされての再評価もてはやせぶりといえるのでは、と思ったりするが、さてどうなのだろう。旋律回帰時代の流れにマッチした評価といえないこともない。輝ける社会主義革命幻想潰えて後の、凋落するどころか、この人気。冗長さにはいささか辟易するものの作品は嫌いじゃない。沈鬱な<暗さ>に魅力があり嫌いではない。でもなんだかな~といった思いは消えない。この社会主義レアリズムによる?<明瞭さ><わかりやすさ>への臆面のなさには、時に耐えがたいこともないではない。