yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

中村明一『虚無僧尺八の世界・薩慈』。幽玄孤絶、哀切悲愁に噎び吹き抜け、打ち震える竹の音。その竹韻の余情には幽そけく<無>が気配する。

イメージ 1

Akikazu Nakamura plays Saji on the Shakuhachi

            

「★―例えば、暑いとき、「暑いな」と思う。風が吹いたりしている時、言葉にしないで、ふと何かに触れたと思えることがある。

▲―例えば「無を感じる」という形でね。」(松岡正剛共著『二十一世紀精神』工作舎・1975)

イメージ 2のっけからすごい尺八です。奏者は中村明一
この尺八奏者を知ったのは≪佐藤聡明の静謐に浮かび上がる真正。尺八と琴の邦楽作品『日……月』(1993)≫とタイトルして投稿したCDに於いてだった。その時は作曲家、佐藤聡明の作品を聴くということが主であり、その作品にいたく感じ入ったということにとどまっていた。そのCD解説で、循環呼吸を駆使しての奏法開発や倍音の巧みな取り込みによるあたらしい響きの創造など、今を旬とする新しい尺八奏者・・・であることを初めて知ったのだった。
武満徹の作品などに親しんでいたものにとっては、尺八奏者は、横山勝也であり、ジャズとのコラボで名を馳せてもいた山本邦山であり、諸井誠作品での 酒井竹保であり、また青木静夫らであった。しかしこの、尺八の古来よりの長き精神的伝統を現代に再創造して凄まじいまでのムラ息ともなう響きで風韻に遊(すさ)んで魅せるこの中村明一と云う尺八奏者はただただ驚嘆の人である。古典をなぞるだけの凡庸(極論、NHK・FMの邦楽番組などで時に散見する学芸会まがいの演奏)とは無縁の現代を精神する尺八奏者だ。との印象を今日取り上げるCD(図書館ネット借受のもの)『虚無僧尺八の世界・薩慈』(1999)を聴くに及んで、感動と共に強く感じたのだった。ただならぬ吹きすさぶこの息づかい、ムラ息ともない竹管吹き抜ける自然そのものの気の響きに、胸ゆすぶられぬ人はいまい。幽玄孤絶、哀切悲愁に噎び、打ち震える竹の音。まさに≪魂の奥底まで響きこむ尺八のムラ息に気迫のノイズ吹きすさぶ諸井誠『竹籟五章・対話五題』ほか≫≪強烈極まりない<気><息>の激しいノイズ音で魂の奥底まで響きこむような尺八の陰韻たる余情。それらの人の世の深奥にまで衝きいる、なんと厳しい凄絶哀絶吹き抜ける響きだろう。≫と綴ったとおり、その竹韻の余情には、在ることの<はかなさ>に幽そけく<無>が気配する。また、つぎのようにもタイトルし投稿したこともあった≪山本邦山・尺八の世界『緩急』(1974)。自然を抱き込み自然とともに竹筒を吹き抜ける風と息、ノイズを伴うゆらぎの音。虚空に響く深遠な精神性。≫まさに尺八とは何と言う精神の震えをともなう楽器いや法器なのだろう。

あるブログで次のような記事が目にとまったので引用させていただく
≪中村さんによりますと、尺八という楽器はおそらく世界で一番息がいる楽器で、1本の竹筒に過ぎないのに、息の当て方次第で、シンセサイザーのようなキーンと透明感のある音から、フォオッーという風のような音まで出せる。普通の人の耳には聞こえない「倍音」と呼ばれる音も多く発している。これらの音を重ね、音色を刻々と変化させる。その変化をひたすら追及したのが、虚無僧の音楽だった。蜜息(「蜜息」と呼ばれる古来の呼吸法は腹の奥底にスッと息を吸い込み、複式呼吸と違って横隔膜だけを使ってはく)を知り、尺八は「吹く」のではなく、尺八というフィルターを通じて、この世界に鳴り響いている無数の音を「伝える」のだ、と知ったと中村さんは言っておられます。というのだ。≫

≪世界に鳴り響いている無数の音≫・・・。

≪音を重ね、音色を刻々と変化させる。≫・・・変化生成。差異・ズレは存在生成を告げる。時を知る。

≪・・・それから、僕は「音は黒板のように詰まっている」という気がするんだけれど、これも、なぜ「黒板のように」なのかわからない。とにかく黒板のようにみっしり、上に続いているように思えるわけです。ヨーロッパでは白色雑音という言い方をするけれど、僕には黒いものに映じている。有機的に、生きていて、そして黒く塗りつぶしたように詰まっているんですね。≫(武満徹「樹の鏡、草原の鏡」より)

「天地・あめつちがはじめて開かれてよりこのかた、久遠の過去より悠久の未来へと、時を超えて鳴り響く、一大音を、私は夢想する。老子のいう「大音は声なし」とは、このことであって、聴けどもきこえざる声、それは音のない声であり、しかも絶大なる音である。私たちの肉耳の聴覚には、それを識ることが許されていないだけだけなのだ。宇宙は一大音響体であり、宇宙は音の波動に満ち満ちているのである。音は無形であり、宇宙が清浄なのは無形だからこそなのだ。・・・・宇宙の生成化育は、この音霊・おとだまの波動によって、一切がなされていると、私は信じている。」(佐藤聡明



収録曲――
1. 薩慈
2. 鶴の巣籠
3. 本調
4. 紫鈴法
5. 産安
6. 鹿の遠音
7. 心月




http://www.komuso.com/index.html The International Shakuhachi Society

  Komuso Zen Priest Playing Shakuhachi