yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

サウンド・アーティスト鈴木昭男『時間の穴・ANALAPOS』(1980)。時間と謂うのはひょっとして穴だらけなのでは。「限りなく物音に近い音楽」(谷川俊太郎)。

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鈴木昭男

         

人間が狂気じみていることは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう。(パスカル

<「限りなく物音に近い音楽、そう呼んでもいいだろうか?」>と詩人・谷川俊太郎が言葉を贈ったらしい。さすが作曲家・武満徹と近しかった詩人のことばだ。たぶんこれに尽きるのだろう。レコードタイトイメージ 2ルどおり<時間の穴・ANALAPOS>からのなんとも寂しい物音が聴こえてくるライヴパフォーマンスのドキュメント。とにかく、<時間の穴>というネーミングがすばらしい。いわゆるブラックホールというイメージではなくて、時間と謂うのはひょっとして穴だらけなのではというイメージがしたのだった。ゲーセンにあるモグラ叩きのように、穴という穴から断続的に不連続として時間が繰り出されてくるのではなかろうかと。一筋縄ではいかない了解しがたい人間(理性)とは、行きつ戻りつの統御しがたい穴だらけの時間を生きているからではないのか?・・・。ともかく貼り付けた写真のような、子供時代に誰しもが一度は遊んだだろう糸電話と同じ構造を持つブリキ管2つとそれをつなぐ金属バネが全ての素朴極まりない楽器!?を使ってのサウンドパフォーマンスがきょう取上げるサウンド・アーティスト鈴木昭男のアルバム『時間の穴・ANALAPOS』(1980)。見えざるものとの交信、交感の道具といえなくもない。こういう<限りなく物音に近い音>のパフォーマンスを耳そばだて聴くというのも、なんだか傍から見れば、こちらの方が変で、狂気じみてみえるかも・・・。それにしてもこうしたひたすら物音を聴くというこだわりの行為には、昨日も引用したジョン・ケージのことばが思い起こされる。
子供の時に子供でいるより、大人になって子供になるほうがいい。


     まぎれ込んだところに

     イメージ 3それは見付け出された

     惑星の廻る速さは

     幻像の声となって

     まぎれ込んでくるのだ

     そこからぬけ出た時

     銀色の衣なくして

     生きられない

     まぎれ込んだところ

     時間の穴

             (鈴木昭男)

≪「その人となりや、憤を発しては以て食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らず」(孔子・「述而」)・・・「憤を発する」とは、とどめがたい自己衝迫をいう。それはすでに一種の狂気である。≫(白川静・「狂字論」)


以下、レコードの帯に記されたパフォーマンス内容を転載しておこう。

SIDE A: Poetry of Sound
3台のポータブル蓄音機と、声・音具(音のオブジェ)の音・オランダフェスティバルでの録音からなるドーナツ盤・各2~3枚を“皿回し”の要領でレコード盤に針を落とし変えて行く・・・。

SIDE B: ANALAPOS (1979)
長いコイルスプリングとその両端につないだドラムからなる創作楽器による即興演奏。声用のアナラポスからスタンド型アナラポスに移る部分が録音されていて、手とスティックによるさまざまなタッチの仕方で演奏される。



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