yuki-midorinomoriの日記

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別宮貞雄『チェロ協奏曲(1997)/ヴァイオリン協奏曲(1969)』。≪時流にいくらかよりそっていた≫からこその秀作「ヴァイオリン協奏曲」。

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イメージ 2ベートーベンの音楽を理想像とし、≪十二音技法などの前衛的な手法に対しては、概して批判的な態度をとっている。≫(WIKI別宮貞雄(べっく さだお、1922 - )の作品集『チェロ協奏曲(1997)/ヴァイオリン協奏曲(1969)』(2002)が今日取り上げるCD。いつものように、図書館ネット借受のもの。不倶戴天の敵のように無調前衛を忌み嫌っている作曲家として、その名を聞き及んでいた。当ブログに登場する音楽などが、まさにその範疇であればこそ、こちとらもそれらの作品鑑賞は意識的に避けてきたきらいは無きにしも非ずといったところだ。もっともNHK・FMなどでも、あまり保守的な現代音楽は放送されない、というよりも却って、新しい潮流、動向の紹介といった意味あいからも前衛的な≪時流の≫(別宮貞雄)音楽のほうが流されているといえるかもしれない。ということもあり、保守的傾向の作品を聴く機会があまり無いといえばいえる。耳目集める面白さ、斬新、新奇、スリリングであるからこその前衛、革新であり、そうしたことが現代音楽と一般化していうことができるとすれば、保守的形式、音楽観による片やの別宮貞雄のようなガチガチの保守的作品のほうが稀少であり、悪くいえば、いまさらこんなの聴くくらいなら本家本元、理想とするその師の古典派ロマン派の音楽を聴いておくわ、となっても可笑しくはない。いずれにせよ、初めて耳にする「現代音楽」なるものと対座し聴くには気構え、忍耐、集中力などを要求されるに変わりはないだろうから。(初対面の緊張。)さて本題。端的に、<1. チェロ協奏曲「秋」(1997)>は、あまりいい作品とはいえない。出だしの、哀切なきわめて印象的な美しい、というより美しすぎる、いささかセンチメントな旋律が魅せるのだけれど、徐々に腰砕けになり、緊密さを失ってゆく。チェロの独奏(堤剛)も、演奏がパッとしないのか、スコアー、作曲書法上の不備なのか(ドシロウトの私にはわからないが)、付け足したようで流れに欠ける。この作曲家の他の作品を聴きもしないでの、これ以上のことばは慎むとしよう。ところが≪時流にいくらかよりそっていたせいか、専門家の友人知己には好評だったようだが、私自身はいささか釈然としない気持ちであった。≫(別宮貞雄)と自作コメントを記している<2. ヴァイオリン協奏曲(1969)>のほうは優れた作品といえるだろうか。≪時流にいくらかよりそっていたせいか、専門家の友人知己には好評≫ということばとおり、私もこの評価に肯うに吝かではない。オーケストレーションの厚みといい、ガッチリした展開といい、精神堅固、緊密であり、いささかも緩むところもない良い作品に仕上がっている。
前橋汀子のヴァイオリンソロもすばらしい。何故か?。作曲家自身忌み嫌っている≪時流にいくらかよりそっていた≫という、その表現手法ゆえであり、ココロの張り、その漲る力に作品が委ねられていたから・・・。



別宮貞雄『チェロ協奏曲/ヴァイオリン協奏曲』
1. チェロ協奏曲「秋」 (1997)
2. ヴァイオリン協奏曲 (1969)