yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『湯浅譲二個展』(1979)。時代の流れへの、軽い悪乗りだったのだろうか。いやそうではあるまい。

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イメージ 2これは、お堅いとおぼしき現代音楽作曲家湯浅譲二にとっては、時代の流れへの、軽い悪乗りだったのだろうか。いやそうではあるまい。一人の若者の現代音楽への熱き思いから1977年創設された現代音楽の演奏を旨とするライヴハウス「EX-HOUSE」での『コンサートドキュメントのレコード化されたものが、きょう登場する『湯浅譲二個展』(1979)。
A面「インター・ポジプレーション」佐藤允彦(P)、吉原すみれ(perc)、豊住芳三郎(drs)、藤川義明(sax)。吉原すみれ以外はジャズ畑だ。その面々が<記譜は五線記譜法ではなく、数字と限定された記号によって、各奏者の音のアタックの数と性質、それに音の間の休止時間が指定されている>(湯浅)といった不確定要素、偶然性を取り入れたインプロヴィゼーションとなっている。奏者がジャズ畑であっても、やはり?というべきか不思議なことに現代音楽の響きとなっている。これが意図せざる結果であるとするなら、どういう機制が働いてのことなのだろう。冷めた熱さのコレクティヴパフォーマンス。さてB面は「演奏詩 呼び交わし」。演劇実験室・天上桟敷の役者5名が参加してのパフォーマンス。その役者のセリフが脈絡なく、モノローグとして飛び交うだけの作品なのだ。セリフのやり取りの脈絡のなさゆえに感ぜられる人間存在の孤独感の表出は見事にまで達成されている。人の内面存在を信ぜずに会話は成立するか。いや、はたしてそれは勝手につくりあげた幻影でしかないのか。「人は誰でも、日常を<演じている>のであるが、そのことを受け入れようとしない。会話の感化力への過剰な期待が、しばしば自他の絶対性を信奉し、<内面イメージ 3の呪縛>へ自らを追いこむ。」(寺山修司)。「万有引力とは、ひきあう孤独の力である」(谷川俊太郎)。行き交う言葉のなんと寂しく哀しいことか。湯浅譲二はこれを音楽!としたのだ。



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