yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ルトスワフスキ、エーリッヒ・ウルバンナー、ルチャーノ・ベリオ『弦楽四重奏曲』。

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Witold Lutosławski - String Quartet - I. Introductory Movement

             

今日もまた、購入して手にしたものではなく、図書館でのネット借受のCDがこの稿で取り上げるものと相成る。返却期限が迫っているということで・・・。弦楽四重奏作品が三作品収められているCDで、演奏はアルバン・ベルク四重奏団。三作品のうちルトスワフスキの『弦楽四重奏曲』(1964)は、このブログ開設まもない頃に、さやさやと、ノンビブラート奏法での、≪余計なものをこそぎ落とした純なやさしい、西洋音楽には無い東洋的感性の音の世界≫、まるで中世教会音楽のような独特の雰囲気をもったジョン・ケージの「弦楽四重奏曲」とのカップリング盤で紹介している。≪あなたに<素>の世界へ誘う革命家ジョン・ケージ≫とタイトルして投稿した。この作品は、ケージの提起した偶然性のコンセプトを一部取り入れての作品としても有名(そのつどの演奏内容に細かな部分で違いはあるというものの、大筋では作曲家の意図するところは確保されているとのこと)だけれど、演奏空間が持つ精神的密度の濃さはさすがであり、やはり、それは作品の秀抜、作曲家の技量の証左でもあるのだろう。2曲目はオーストリアの作曲家、エーリッヒ・ウルバンナー【1961年以来ウィーン音楽大学で教鞭を執り、・・・69年から74年までは<十二音楽技法セミナー>の長を務めていた。86年から89年までは、<電子音響・実験音楽研究所>の所長でもあった。】(解説・長木誠司)の「弦楽四重奏曲 第4番」。斯くまで堅固な古典的でさえある弦楽四重奏を聴くと、やはり西洋音楽の伝統をいやでも感じさせられる。カナワンナーといったところ。新ウイーン楽派のロマネスクな古典的展開。3曲目はルチャーノ・ベリオの「ノットゥルノ(四重奏Ⅲ)・<夜に黙して語られなかったことばを・・・>(パウル・ツェラン)」(1993)。これは、聴きなれたベリオの音色展開とはいささか違うようだ。一時期のあの独特の移ろいゆく微分的なトレモロ奏法がいくぶん抑えられ、それゆえかその印象は、セリエールの多彩豊穣化の試みのように聴こえたのだけれど。詩のタイトルに引っ張られての印象なのかも知れないがきわめて内省的だ。ま、「ノットゥルノ」=ノクターンであれば、それはそうなのだろう。

「<ノットゥルノ>は、静寂に満ちているがゆえに夜想的である。それは語られないことばと完遂されない言説から成立しているがゆえに静寂に満ちている。それは声高に語られたとしても静寂である。なぜなら、形式自体が静寂なのであり、つまるところ議論の成り立たないものであるからである。それはときおり黙されたことばを表層にもたらしながら、それ自体の上に回帰し、またときおり同じ音型を繰り返しながら、そして憑かれたようにその音型を拡充しながら中断する・・・」(ルチャーノ・ベリオ、解説文より)



Berio- Concerto for Two Pianos (1/3)