yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『湯浅譲二作品集』。抽象度の高く深い精神性と<和のこころ>その余情。原初、深奥へ迫り分け入る精神性、厳しさは超弩級。

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Yoji Yuasa: Projection (1962)

               

イメージ 21枚1050円なら、たとえ収録作品が重複していても他の曲を聴きたくてサイフの口が緩むというものだ。ということで、久しぶりにショップへと足を運んだおり購入してきた。お目当ては、まえまえから手にしてジックリと聴きたかったラッヘンマンや、近藤譲のアルバムだったのだけれど、3000円近くもするとなるとやはり見送ってしまう。在庫整理が行き届いていないのか廉価盤のNAXOSには食指を動かせるモノが棚になく、結局は今日取り上げる《カメラータ・コンテンポラリー・アーカイヴズ》シリーズのなかの『湯浅譲二作品集』一枚だけにして帰ってきた。ごくふつうの古典名曲などは、放送や図書館利用で十分と言うスタンスなので・・・(現代音楽は放送ではほとんど聴く機会がない)。さて、湯浅譲二といえば、故人となった武満徹とは若き日より、≪反アカデミックで前衛的な気質を持っていた≫「実験工房」時代からの朋友であり、切磋琢磨の間柄だった作曲家だ。その武満亡きあといまや前衛スタイルに軸足を残しつつ国際的にガンバッテいる大御所的存在だといっておこう。わたしも、ブログ開設まもない頃に≪ホワイトノイズに光速で消え行く<わたし>≫とタイトルしてボックスものを取り上げた。比較的若くしてのボックスもの制作だから、それだけでも実力のほどが分かろうというものだろう。さて、廉価盤での久しぶりの湯浅譲二との対面、まとまった鑑賞となった。先ず、ひとことでいって、抽象度の高い精神性と<和のこころ>、その余情を印象したのだ。それに捉えて離さぬ見事なまでの緊張を湛えた音響世界。これは、テーマ、素材に芭蕉の俳句や、筝、尺八等々が使われているといった短絡からのものではない。作品のもつ響きが、その放つ芳香がそうなのだ。ハッキリ<和のこころ>なのだ。能的世界といってもあながち外れていないのでは。それは、≪「シーンズ・フロム・バショウ」~芭蕉の句による音楽(1980)≫や、≪弦楽四重奏曲のためのプロジェクション II(1996)≫などの邦楽器を使わない純然たる西洋楽器作品に主トーンとして聞けるものだ。たぶん、もはやこれを手放しては・・と謂うレーゾンデートル(存在理由)ですらあるのだろう。こうしたことの一端は次のことばで了解されることだろう。≪私は、常々作品とは作曲家を支えている世界のすべて、つまりコスモロジー、の反映であると思ってきた。・・・演奏される作品は、それぞれがまさに私のコスモロジーを形成している重要な要素の反映となっている。コスモロジーを形成するものは、まず<生い立ち>そして<経験><学習>であり、自らの生を選択する<生の方向性>と言うべきものであろう。人間は誰しも、人種や文化圏の差をこえて人類に共通する普遍性と、生い立ちの環境、そして固有の文化圏から生まれる個別性を持っている。その意味で、私は日本語を母語とする日本文化圏を背景に育っており、当然、思考の構造としての、伝統的なものを意識している。又同時に、作曲の源につらなる人間の特性を深く考察する時には、言語や宗教、儀礼などの文化発生の時点まで遡行して人間を見る視座を必要とする。≫(湯浅譲二・わたしのコスモロジーより)逆に、邦楽器作品の、筝と歌の≪箏歌、芭蕉五句(1978)≫や、筝と尺八の≪内触覚的宇宙 第3番 虚空(1990)≫には、<和のこころ>に抽象宇宙的深淵が吹きぬけ、澄明に漂っているのだ。ちなみに≪「内触覚宇宙」のシリーズには、原初的な生命感こそが音楽発生のイメージとなり得るという私の姿勢が表れている。≫だそうだけれど、これは物理的な数量的時空宇宙ではない、人間のうちに取り込まれた、生命の発生とともにクロスし解き放たれた生理的宇宙の時空と了解すればいいのだろうか。さてさて間違いなくこれら作品に貫徹する原初、深奥へ迫り分け入る精神性、厳しさは超弩級だと言い募ってこの稿擱くとしよう。

≪・・・人は青空の無限の深みを見つめる時、宇宙との一体感、またそれに対する畏怖の念、またそこに安らぎと言った一種の宗教的世界への入口が見えるかも知れない。それは、私にとって音楽が発生してくる場所の一つである。≫(同上、湯浅譲二・わたしのコスモロジーより)



湯浅譲二作品集』

 ■ 曲目
 「シーンズ・フロム・バショウ」~芭蕉の句による音楽(1980)
  [1] 冬の日や 馬上に氷る 影法師
  [2] あかあかと 日は難面も 秋の風
  [3] 名月や 門に指し来る 潮頭

  箏歌、芭蕉五句(1978)
  [4] 雲とへだつ友かや 雁の生き別れ(遙かなるものへ)
  [5] 明ぼのや しら魚しろきこと一寸(冷えて冴えざえと)
  [6] 水仙や 白き障子のとも移り(透明なおだやかさで)
  [7] 閑さや 岩にしみ入る蝉の声(天地に遍満するしずかさ)
  [8] 荒海や 佐渡によこたふ天の河(暗い宇宙の広大さ)

  [9] 内触覚的宇宙 第3番 虚空(1990)

  [10] 弦楽四重奏曲のためのプロジェクション II(1996)