yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ベルナール・パルメジャーニ 『CHRONOS』。サウンド創造とそれへのこだわり、執拗な聞き込み。器械が発する音への慈しみ、それ自体への同化。電子音への熟知が創り上げたセンシティブなサウンド世界。

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Parmegiani: "Pulsion-miroir"

              

イメージ 2昨日のナチュラルアコースティックサウンドの楊琴(ヨーチン)記事から一転して、きょうはアーティフィッシャルエレクトロサウンドの紹介としよう。
もうだんだんと紡ぎだすことばも底ついてきて、正直しんどいところなのだけれど。おまけにフランス直輸入盤とあって(こういったレコードが先送りになって棚に眠ったままだ)語学不如意のこともありなおさらだ。
いわゆる銀ジャケシリーズの電子音楽(ミュージックコンクレート)の一枚。作曲家はフランスのこの道の先覚者、INA-GRM(フランス国立視聴覚研究所-音楽研究グループ)を創設したピエール・シェフェール Pierre Henri Marie Schaeffer(1910 – 1995)のもとに研鑽積み、その後の斯界の発展に大きく寄与したベルナール・パルメジャーニ Bernard Parmegiani(1927-)。
以前、すでにこの作曲家のアルバムを2稿≪サウンド創造とこだわりの豊穣。ベルナール・パルメジャーニ(1927‐)『Pour en Finir avec Pouvoir D’orphee』(1971)『Dedans Dehors』(1976) ≫と≪電子音を慈しむ、すばらしいベルナルド・パルメジアーニ(1927)の 『DE NATURA SONORUM』 (1975)≫とタイトルして投稿している。
いつものように、先の投稿記事でことば尽きているのだけれど、再掲しよう。以下文中にある電子音楽の先覚者シェフェールは技術者あがりであり、それと同様きょうのベルナルド・パルメジアーニもどちらかといえば音響エンジニアからの出発だった。
ということで、文中のシェフェールをパルメジアーニに置き換えて読んでいただければいいだろうか。【≪シェフェールとアンリの、初期に聴かれる共同作業の中での音作りの違い、つまり音響それ自体へとめがけて加工変容にかかわるシェフェールと、ピエール・アンリPierre Henry(1927 - )にあってはむしろそののちの音響が解き放つイメージへの音楽的なかかわり方の違いが彼にもあるように思われる。音楽的センスと直観のうちに電子音・ノイズを取り込むアンリなどに対して、エンジニアとしてのセンスは、電子音それ自体に自己を化してしまうような一種ナルシチズム、電子音それ自体を慈しむような性向が共通してみうけられる。≫と、これはいささかの修正も必要としないようだ。たしかに具体音の電子処理のしかた、およびそれの取り込み方は、ピエール・アンリとははっきり違っているようだ。ピエール・アンリという天性の音楽的センスと鋭い直感、想像力。かたやエンジニアとしてのサウンド創造とそれへのこだわり、執拗な聞き込み。そうした違いを私はイメージ 3あげることが出来る。電子音へのひたすらな慈しむような構えを感じさせる優れた成果と断言できる。器械が発する音への慈しみとは、それ自体への同化に他ならない。電子音への熟知が創り上げたサウンド世界といいたくなるほどにナイーブでセンシティブな美しさのあるアルバムである。】アルバムを聴いて思うことだけれど、この頃のフランスの電子音楽は群を抜いてすばらしい。この頃はまだ人間の感性の入り込む余地があったのか今聴いても刺激的で愉しい。ところで、ひところほどの勢いは今ないのだろうか。コンピュータ全盛、デジタル時代に入り電子音楽それ自体に却って面白味がなくなっているのかも知れない。


   右写真 Francois Bayle,Pierre Schaeffer,Bernard Parmegiani

Bernard Parmegiani『CHRONOS』    

収録曲(フランス文字入力不可のため英文タイトルとします)――
「The eye listens」(1970)
「The Ferris Wheel」(1971)
「The mobile instant」(1964)





Liquid Picture X (Parmegiani Creation Expression 1)