ペーター・ブロッツマン&ハン・ベニンク、デュオ『EIN HALBER HUND KANN NICHT PINKELN』(1977)。心趣くままに<遊ぶ・スサブ>ダダ。
ペーター・ブロッツマン
まことに痛快なデュオアルバム。いや、このアルバムだけではない。この二人のデュオパフォーマンスはことごとくが痛快だ。ペーター・ブロッツマン Peter Brotzmann とハン・ベニンク Han Bennink。この二人にとって、音楽するとはイコール遊びなのだといいたくなる。これだけ遊んで熱く燃えるインタープレイもそうざらにあるとは思えないくらいだ。二人にとっても天の配剤、僥倖と言ってもいい出会いなのだろう。このデュオにはまじめくさった深刻さの無いのがすばらしい。音楽なんてのもこれくらいのゆとりを持ってやるほうが、鑑賞者ともどもミュージシャンにとってもいいのではと思える。あらゆる自由なパフォーマンスが、多くの楽器(アコースティックなそれらから自作の楽器、ありふれた、そこいらの音の出る限りでのガラクタなどなど)を手に取りインプロヴィゼーションされるのだ。きちんとした楽音でパフォーマンスがなされるわけではない。しかし、魅きつけ燃え立たせるものがそこには確かにあるのだ。心趣くままに<遊ぶ・スサブ>。これほどの痛快はない。「遊ぶ」はスサブとも訓む、またスサブは「荒ぶ」とも当てる。この「遊ぶ」が「荒ぶ」へとスサブとして転化してゆく。まさしくそれを地でゆくフリーパフォーマンスのアルバムといっておこう。美しさを求める音楽も悪くはないし、いいものだけれど、壊すダダ、心趣くままに<遊ぶ・スサブ>ダダもいい。
まことに痛快なデュオアルバム。いや、このアルバムだけではない。この二人のデュオパフォーマンスはことごとくが痛快だ。ペーター・ブロッツマン Peter Brotzmann とハン・ベニンク Han Bennink。この二人にとって、音楽するとはイコール遊びなのだといいたくなる。これだけ遊んで熱く燃えるインタープレイもそうざらにあるとは思えないくらいだ。二人にとっても天の配剤、僥倖と言ってもいい出会いなのだろう。このデュオにはまじめくさった深刻さの無いのがすばらしい。音楽なんてのもこれくらいのゆとりを持ってやるほうが、鑑賞者ともどもミュージシャンにとってもいいのではと思える。あらゆる自由なパフォーマンスが、多くの楽器(アコースティックなそれらから自作の楽器、ありふれた、そこいらの音の出る限りでのガラクタなどなど)を手に取りインプロヴィゼーションされるのだ。きちんとした楽音でパフォーマンスがなされるわけではない。しかし、魅きつけ燃え立たせるものがそこには確かにあるのだ。心趣くままに<遊ぶ・スサブ>。これほどの痛快はない。「遊ぶ」はスサブとも訓む、またスサブは「荒ぶ」とも当てる。この「遊ぶ」が「荒ぶ」へとスサブとして転化してゆく。まさしくそれを地でゆくフリーパフォーマンスのアルバムといっておこう。美しさを求める音楽も悪くはないし、いいものだけれど、壊すダダ、心趣くままに<遊ぶ・スサブ>ダダもいい。
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