yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

山下洋輔『ラプソディ・イン・ブルー』(rec.1986)。空前絶後のすばらしいピアノソロ。コンサートグランドがフルレンジで鍵盤を疾走。豪快、かつ繊細に洋輔ジャズスピリットとピアニズムで快感響き渡る。

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幻燈辻馬車 Yosuke Yamashita & Yutaka Sado

              
              投稿音源ではありません。

イメージ 2かつてテレビコマーシャルにインド人もビックリといったカレーの宣伝文句があった。本場・本家もビックリといった意味合いで今でもよく使われていることだろう。まさにそのコトバが口をついて出てきたアルバムが、きょう取り上げる(中央図書館でネット借受したもの)山下洋輔の『ラプソディ・イン・ブルー Rhapsody in Blue』(rec.1986)。作曲者のジョージ・ガーシュウィン George Gershwin(1898 - 1937)がこの山下洋輔のソロ・パフォーマンスを聴いたら、たぶん「インド人もビックリ」の感興をもったのではと思わせるにたる、空前絶後のすばらしい『ラプソディ・イン・ブルー』だ。コンサートグランドが洋輔ジャズスピリットでフルレンジで鍵盤を疾走。豪快、かつ繊細に響き渡り、壮麗な快感洋輔ピアニズムを聴かせ酔わせてくれる。再度言おう。これはまったくすばらしく、感激モノだ。先ほども言ったけれど作曲者ガーシュインが聴けば吃驚、快哉をもって喝采したのではないかと思いたくなるほどのソロパフォーマンスだ。このタイトル曲だけでなく他のクラシック曲の山下洋輔流ジャズスピリットでインプロヴァイズされたピアノソロことごとくがすばらしい出来だ。純然たるスタンダードジャズナンバーより、このようなクラシック作品の洋輔流ジャズスピリットでのソロのほうがそのピアにズムの本領が遺憾なく発揮されているのではないかと思わせる。コンボでのピアノもさることながら、それ以上にソロの方が私は好きだ。これは山下洋輔師と仰ぐ?セシル・テイラーにも言えることだと私には思える。というものの、演奏者にとってはソロ(コンサート)はあまり面白いものではないようで、マルタ・アルゲリッチMartha Argerich(1941 - )のようなヴィルトーゾにしてからがそのようだ(≪1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり室内楽に傾倒していく。≫(WIKI))と何かの折読んだ記憶がある。しかしリスナーにとっては、骨の髄まで愛してしゃぶりたいとの思いもありソロパフォーマンスに耳傾けるのだということもある。ところで、このアルバムには音大作曲科卒の修学歴をもつ山下洋輔の作曲作品「ピアノ五重奏曲第2番」がCD収録の並み居るクラシックの大家の作品に伍して演奏収められている。もちろんジャズトーンが主調の作風とはいえ、無調音列を取り入れての多調的な、それに即興ピアノソロが絡んでゆくという趣向のジャズマンならではの現代音楽作品となっている。形式自体は古典的で伝統を踏襲しているけれど、音色、フレージングなど現代音楽からの取り入れ影響大で、ジャズ的ソロ展開ともども独特でおもしろい試みとなっている。これはライヴ収録なのだけれどその反応、喝采はクラシックのそれではない熱を帯びた歓呼に包まれたものだった。やはり山下洋輔!・・・なのだろうか。ところでさてさて、なんでも、スタニスラフ・ブーニン Stanislav Stanislavovich Bunin(1966-)がこのアルバムをきいて感心したかはどうかはしらないが≪面白がって、以後交流が始まるきっかけになった≫(作曲者ノートより)のだそうだ。ソロパフォーマンスの自在無碍と独創を羨ましいと思ったのではと推測するがさてどうなのだろう。最後に、名曲「ラプソディ・イン・ブルー」のジョージ・ガーシュウィンが≪クラシック音楽に触れたのは小学生のときに聴いたドヴォルザークの『ユモレスク』≫(WIKI)だそうで、そのせいなのかどうか憶測の域でないが、そのドヴォルザークの『ユモレスク(Humoresky)』(≪原曲がピアノ独奏曲≫(WIKI))も演目にとりいれられている。なるほど・・・。