yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

マウリシオ・カーゲル『Der Schall』(1968)。ノイズの音楽への侵蝕の加速。楽音と騒音の価値相対をアナーキーに遊ぶインプロヴィゼーション。

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Mauricio Kagel- Der Schall (4/4)

           

           Mauricio Kagel- Der Schall (1/4)
           Mauricio Kagel- Der Schall (2/4)
           Mauricio Kagel- Der Schall (3/4)

イメージ 2ほぼ同じコンセプトでコレクティブ・パフォーマンスされたマウリシオ・カーゲルMauricio Kagel(1931 - 2008)のアルバムを、どうやら時系列で順逆になって取り上げてしまったようだ。先に取り上げた『ACUSTICA』(1971)の方が、多くのガラクタ(楽器)使用や、前もって電子音楽スタジオで作成されたテープを使用するなど、より大掛かりでラジカルといえば言えるように印象するが。これらは楽音と騒音の価値、境界を問いかけた問題作といえるのだろうけれど。どちらかといえば年代順から言えば妥当なのだけれど、集合的な即興演奏が作り上げるスリリングな音響形成を楽しむ分には 今日取り上げる『Der Schall』(1968)のほうが面白く、よく出来ている。各々5人の演奏者がとっかえひっかえ手にする<楽器>の数々(54種)を、文字をタイピングするのが面倒なので画像ではりつけておこう(データ制限容量上勿体ないけれど)。ともかく美しく音律で楽音奏でるようにアコースティック楽器は使用されていない。初めて出会う楽器の如くのこれら騒雑音による即興の音響パフォーマンスを面白く思うかどうかの美学的境目が何を意味するかはややこしくなるのでここでは触れないでおこう。音楽を含めあらゆる領域ですべからく混沌へと向かっているのは間違いないことで、ノイズの音楽への参入とそれらはパラレルであるのだろう。価値相対、イメージ 3価値崩壊、全体性の喪失、方向性の見えない不確定、不確実などと言ってしまえば、あまりにもお定まりで粗雑に過ぎるけれど、しかし時代はますますの混迷の度を加え乱雑に複雑化していっているのは否定しようがないことといえよう。音=モノ、であり、色=モノでありとせば、産業の高度増大化のこんにち、これだけモノに溢れかえった現代社会では、それこそノイズの音楽への侵蝕が加速するのも故なしとしない。そんな理屈はともかく、おもしろいインプロヴィゼーション・パフォーマンスの歴史的ドキュメントであることは間違いないことだろう。



『Der Schall』(1968)

Kölner Ensemble Für Neue Musik

収録曲――

A Der Schall (1968), Für 5 Spieler (Mit 54 Instrumenten), Part 1 (14:18)
B Part 2 (23:02)


http://www.ubu.com/sound/kagel02.html Der Schall (1968)全曲聴けます

http://www.ubu.com/film/kagel.html Mauricio Kagel 作品動画愉しめます